新春聖書講演会「『たとえ話』に込められたイエスの思い」(講演:澤田豊成神父)のご案内

2019年新春聖書講演会
テーマ:「たとえ話」に込められたイエスの思い
「わたしの隣人とは誰ですか」(ルカ10・29)
「隣人となったのは誰か」(ルカ10・36)

日時:2019年1月19日(土)開場13時、開演14時〜16時
入場料:無料
会場:聖パウロ修道会福岡修道院(福岡市中央区赤坂1丁目14-26)
お話:澤田豊成神父(聖パウロ修道会会員)
主催:聖パウロ聖書センター、聖パウロ修道会、サンパウロ、聖パウロ協力者会
お問い合わせ:月〜金=サンパウロ(電話03-3357-7651 Br.德田)、当日=福岡修道院(電話092-721-2031)

【テーマの説明】
 イエスは、たくさんの「たとえ話」を語られました。福音書には、「たとえなしには語られなかった」(マルコ4・34)とまで言われています。なぜ、イエスは「たとえ」を多く用いられるのでしょうか。教えを分かりやすくするためでしょうか。たしかに、「たとえ」に用いられる題材は、日常的で親しみのあるものです(種蒔き、パン、ぶどう園での労働……)。しかし、その意味は必ずしも明確ではありません。「たとえ」が語られた後、その意味が説明されるとは限りません。「イエスの『たとえ』って分かりやすいよね」と心から言える人は、どれくらいいるでしょうか。それでは、なぜイエスは「たとえ」で語られるのでしょうか。
 「たとえ」は、奥深く、不思議な魅力を持っています。「偏り」がありますし(場面の偏り、登場人物の偏り……)、「誇張」や「極端な表現」もあります(「百倍の実り」、「一万タラントンの借金」……)。日常的な題材は使われていますが、それでいて、たとえ話はしばしば日常とかけ離れています。たとえは、日常の現実の中に、日常を超える神の恵み、神の思いを感じるように招いているのでしょう。たとえは、教科書や辞書のようなものではありません。何度も読み深め、現実に重ね合わせながら、その中で神の思い、神の恵み、神のわざを感じ取っていくためのものなのです。「たとえ」の中に込められた神の思いに少しずつ触れることができればと思います。(聖パウロ修道会 澤田豊成)

記事の有効期限: 2019年1月19日 Saturday 4:00pm

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