58. ローマ修道院の院長を勤める――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

一九三六年(昭和一一年)六月、アルバの母院では、教会法に従いアルバ教区長の巡察が行われることになった。アルバ教区長は一九三三年二月、レ司教の後を、グラッシ司教が継いでいた。巡察の日に母院の経済状態を調査するためのものであった。

大きな建物が次々に建って行くし、また大工だの左官だのが修道院の必要に応じて年中、あちこちの建物に手直しを加えているし、おまけにイタリア内外にも支部はできて行くので、教区の聖職者たちはびっくりし、あんなことで会計のほうは大丈夫なのだろうかと心配したしたのである。これが方々の聖職者からアルバ教区長の耳に入ったのである。

グラッシ司教は敬虔で、教養が高く雄弁で筆も立つっていたが、司牧実践や経済問題には暗かったし、聖パウロ会そのものもよく知らなかった。それでグラッシ司教は、外部からの圧力に押されて、聖パウロ会を巡察することにしたのである。それで司教の予告なしにアルベリオーネ神父の事務所に現れて、すぐにでも教会法による巡察をしたいと言い出した。それから司教は母院の人たちを全員集めて、かんたんに挨拶してから、「一人ずつ私の所にきて、よりいっそうためになることであったなら、人事のことでも共同体のことでも、何でも私に知らせてください」と言った。

司教は、みんなから報告を受けた後、年配の神父数名を連れてアルベリオーネ神父の事務所へ行った。神父は書き物をしていたが、司教に敬意を表して立ち上り、挨拶した。その時、司教は荘厳にこう言った。

「これから、あなた方の院長は私である。私の許可がなければ、あなたはこれ以上、一つのレンガさえ、もう一つの上にのせてはならない。数日のうちに、私は、あなた方の会計監査をしに戻ってくる。会計簿をきちんとつけて、準備しておきなさい。」

アルベリオーネ神父は頭を下げて、これを聞き、快く承諾した。これで、そこに居合わせた人たちは、教区長の計画通り、巡察が、規則通り行われるだろうと確信していた。ところが事情が変わったのである。数日後、司教が聖パウロ会に戻って来て、受付に「約束通り、会計監査に来たとアルベリオーネ神父に言いなさい」と頼んだ。「アルベリオーネ神父ならローマにいます」と受付は答えた。

「ローマ? それではいつ帰るの?」「もう帰りません。ローマの院長ですから。」「じゃ、この修道院では誰がその代理をしているの?」「ジャッカルド神父と言いますが、まだ来ていません。いつ来るかもわかりません。」

グラッシ司教は、アルベリオーネ神父がアルバからローマへ移転した真意が、完全につかめたが、威厳を失わずに、これに耐えた。修道院の長い廊下に入り、偶然に会った神父たちと話し、アルベリオーネ神父の出発の件について噂をした。そして司教は帰る前に、半分正気で、半分冗談まじりに「このたびは聖人たちが、どういうふうにできているかがわかった」と言うのであった。

たしかに聖人という者は、何物にもしばられず、愛着せずに、自由に活動する。アルベリオーネ神父は、グラッシ司教の命令にさからったり、教会法にそむいたりして自由勝手に行動したわけではない。ローマに行ってはいけない! とか、アルバに留まれ! とか司教が命令したわけではない。ただローマに行くと前持ってグラッシ司教に伝えれば、きっと足どめをくらってに違いない。それを見越して、黙ってローマに行ったまでにすぎない。

アルベリオーネ神父がアルバからローマに移転したことについては、聖パウロ会の会報「サン・パウロ」の一九三六年七月号に、ざっと述べてある。その中でアルベリオーネ神父は、こう行っている。「私の仕事はかなりふえてきたので、しばしばアルバを離れなければならない。私たちの小さな全パウロ家の副会長に、ジャッカルド神父を任命する。彼は仕事熱心であり、修道規律の遵守と本会の精神に忠実なので、みなさんの尊敬と愛とを受けているからである。」

翌月の同会報にジャッカルド神父は、副会長兼アルバの修道院長として、次のの文を寄せている。「プリモ・マエストロは、その手紙で明らかにしていた通り、二か月前からローマにいる。彼がローマにいることで、世界に広がっているすべての「馬小屋」(注、ジャッカルド神父によれば外国のパウロ会修道院のことである。創設期の貧しい生活をキリストの降誕の馬小屋になぞらえている)にとって大変な利益となる。彼がローマ修道院にいることで、あの修道院は活気が増し、成熟の度を早め、義務を機敏に果たし、すべての聖パウロ会にもたらすはずの精神的な援助が機敏に果たせる」と。

アルベリオーネ神父も、のちに回想録の中で同じようなことを、こう述べている。「アルバからはイタリアに注目していたが、ローマでは諸外国を目ざすようになった。この決定に至らせた理由は明らかである。パウロ家は聖座に奉仕するものであるという自覚を持つために、また、教義と精神と使徒的活動をいっそう直接に聖座という源泉から汲むためには、ローマにいる必要がある。ローマは世界の師であり、人類全体に向かって門戸を開いている。ローマからあらゆる方面に向けて使節が派遣される。こういう考えは、彼(アルベリオーネ神父)が一九一一年(明治四四年)に教区の代表として人民同盟の大会に参加すめためにローマに上京し、聖パウロの墓にもうでて祈った時以来、ずっと心に刻まれていたのであった。」

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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