待降節の意味 待降節第一主日(ルカ21・25~28、34~36)

今日から待降節が始まり、教会の暦では新年度の始まりです。11月30日に一番近い日曜日が待降節第一主日に定められていて、しかもこの時期、12月(師走)が始まったばかりなので、新年度の感じが薄いかもしれません。

この待降節には二つの意味が込められています。一つは主の降誕を待つ準備。もう一つは主の再臨を待つ準備。『ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則』(中央協議会発行)の中に、「それはまず、神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、その追憶を通して、終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもある」(39番)と記されています。第一については、クリスマスの雰囲気から想像できますが、第二の方はその実感がわかないかもしれません。でも今日の福音を味わっていくと、その雰囲気がよく現れています。

具体的には次のように記されています。「太陽と月、そして星に徴が現れ、地上では、海と波のとどろきに、国々の民は慌てふためき、不安に陥る」(ルカ21・25)と。この箇所からイメージすることは、自然界の中での不安な現象でしょう。でもそれに続く箇所を読んでいくととても勇気づけられます。「これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなた方の贖いが近づいているからである」(ルカ21・28)と。さらに「いつも目を覚ましていなさい。起ころうとしているこれらすべてのことから逃れ、人の子の前に立つ力が与えられるよう祈りなさい」(ルカ21・36)。何も不安な材料だけでなく、私たちへの贖いが近づいていることや人の子の前に立つ恵みが語られています。

待降節は街角の雰囲気と心を合わせて、クリスマスに向けての準備とともに、いつかは訪れる主の来臨に向けて心の準備をしていきましょう。

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