真理に属する者という種 王であるキリスト(ヨハネ18・33b〜37)

私たちは、温かくて気持ち良い湯船から上がりたくなかったり、朝、温かい布団から起き上がりたくなかったりします。もう少し、もっと長くこの心地よい所に留まりたいと言う気持ちになります。私たちは、湯船や布団に限らず心地よさの中だけでは生きて行くことができません。

きょうのみことばは、イエス様がローマの総督であるピラトのもとに大祭司たちから連れてこられたところから始まっています。きょうのみことばの前の箇所には、ユダヤ人たちがイエス様をピラトに引き渡す場面があります。その中で、ユダヤ人たちは、自分たちが汚れを受けることなく過越の食事をすることができるように、総督官邸に入りませんでした(ヨハネ18・28)。まず、彼らは自分の手を汚すことをしなくて、ピラトに渡したのでした。ここに、彼らの傲慢さ、自己中心的な心が表れています。さらに彼らは「わたしたちには人を死刑にすることは許されていません」(ヨハネ18・31)というように最初からイエス様を死刑にして欲しいという要求をピラトに求めているのです。

イエス様は、エルサレムに入るまで3回もご自分がどのような最期を遂げるかを伝えてこられました。いま、まさに「人の子は、祭司長たちや律法学者たちに渡される。彼らは人の子に死刑を宣告し、そして異邦人に渡す。……」(マルコ10・33)という場面が成就しようとしています。イエス様のお気持ちはどのようなものだったことでしょう。

ピラトは、イエス様に「お前はユダヤ人の王なのか」と尋ねます。きょうのみことばの中でピラトは、イエス様に対して「王なのか」と2回も尋ねます。ピラトの関心は、イエス様がメシアということはどうでもよかったのです。ただ、ユダヤ人たちがイエス様を【王】として祭り上げローマに対して反逆を企てることを恐れていたのかもしれません。ですからピラトは、イエス様に「王なのか」と2度も尋ねたのではないでしょうか。

イエス様は、「あなたは自分の考えでそう言うのですか。それとも、ほかの人がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」と答えられます。イエス様は、ご自分がこれから十字架に架けられて亡くなろうとしているのに、静かにピラトに聞き返しています。イエス様のお心は、ただ、おん父のみ旨を行うことでした。このピラトとの会話も全ておん父のみ旨を行うためだったのです。もし私たちでしたら、自分が死刑になるかもしれないときにこのように冷静にピラトに答えることができるでしょうか。イエス様の謙遜さ、おん父への従順さがここで表れているのではないでしょうか。

イエス様の答えに「このわたしがユダヤ人であるとでも言うのか。お前の国の者たちや祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。お前はいったい何をしたのか」と答えます。ピラトはローマの総督としてのプライドがあったため「このわたしがユダヤ人であるとでも言うのか。」とユダヤ人を軽蔑した言い方をしています。また、彼の関心は、イエス様がローマの支配を脅かすことで、自分が総督としての任務に傷がつくことを恐れたのかもしません。そのような意味でもユダヤ人たちが自分の所にイエス様を連れてきたことに腹を立て、厄介だと思ったことでしょう。

イエス様は、「わたしの国は、この世に属していない。わたしがこの世に属していたなら、わたしがユダヤ人に引き渡さないように、わたしの部下が戦ったであろう。しかし、実際、わたしの国は、この世に属していない」と言われます。イエス様は、2度「わたしの国は、この世に属していない。」と言われます。まるでサンドイッチのパンのように「この世に属していたなら……」と言う言葉を挟んでします。イエス様の国は、【神の国】のことをさしておられ、中身である「この世に属し……」は、私たちの社会を刺しているのではないでしょうか。ここで言う「部下」は、洗礼の恵みを受けた私たちのことと言ってもいいでしょう。もちろん、この戦いは人を殺す武器を使うのではなく、【福音】を使って戦うと言う意味ではないでしょうか。

さらにイエス様は、「わたしが王であるとは、あなたの言っていることである。わたしは、真理について証しするために生まれ、またそのために世に来た。真理に属している人はみな、わたしの声に聞き従う」と言われます。きょうの典礼は、【王であるキリスト】なのですが、イエス様ご自身は一言も「わたしは王である」と言われていません。全てピラトが言っています。イエス様は、静かに答えながらピラトの口を通して【王】と言うことを私たちに知らせているようです。ピラトは、イエス様が【真理】と言う言葉を使われた中で、イエス様が自分たちのようなこの世の権力を大切にするのではなく、理解できない次元の【王】ということに気がついたのかもしれません。

私たちは、イエス様が言われた【真理に属している人は皆、わたしの声に聞き従う】者としてイエス様と共に歩むことができたらいいですね。

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