56. 週刊誌「ファミリア・クリスチアーナ」――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

一九三○年(昭和五年)アルベリオーネ神父は家庭向きの週刊誌を出そうと考えた。これは、当時出版されていた女性向きの退廃した雑誌に対抗するためであった。それには、実際生活に直接関係し、今からでもすぐに実践できるような子供の教育、料理、あみ物、家庭医療、掃除、洗たくなどの家事の問題、経済・社会問題、小説、ニュースなどについて親でも子どもでもおもしろく読める記事をたくさんのせた。これが現在の「ファミリア・クリスチアーナ」(キリスト教的家庭誌)である。最初の号が出版されたのは、一九三一年(昭和六年)のクリスマスの日である。それは二色刷りの一二ページで、ほとんど写真がなかった。最初からわりに受けがよく五千部から一万部が出ていた。

アルベリオーネ神父は、前述の「ヴイタ・パストラーレ」誌に、パウロ会発行の本や週刊誌の広告を出し、それぞれの見本を各教会や修道院や教会関係の施設・学校へ送り、注文をとった。また神父は会員を使って信者の団体である父の会、青年会、処女会、レジオ・マリエに働きかけ、出版物の宣伝をした。そして教会の神父には二割り引きにし、神父を通して婦人会に宣伝してもらうこともあった。婦人が家庭にその雑誌を持ちかえるので主人や子どもも読み出した。のちに事務所にも工場にも、この雑誌が普及し、社会浄化に大いに役立った。

一九四二年(昭和一七年)には一二万部印刷されたが、第二次世界大戦中は、時々出版され、一時ストップしたこともあった。戦後はサイズも大きくなり、カラー刷りになった。一九六一年には百万部を越え、一九七○年(昭和四五年)には四○周年記念号として二百万部印刷された。

アルベリオーネ神父は、五○年先を見越し、鉄道の引込み線をアルバの聖パウロ会の印刷工場に引き入れなければならないだろうと予言したが、実際に第二次大戦後、引込み線が敷かれた。現在でも週一回、アルバ駅から印刷工場まで入り、百五○万部以上を運送している。なお、交通不便な田舎へはファミリア・クリスチアーナ社のトラック数台で、この週刊誌を運送している。現在、印刷工場には大きな輪転機が五台もそなえつけられ、フル回転している。

なお編集部はミラノ市にあり、レンガ色の七階建ての堂々たる建物をそなえている。そこには百人以上の従業員が外部から通い、原稿作成、写真、校正、装幀などをしている。また世界各国に、それぞれ専門の特派員を派遣し、政治、経済、風俗、ファッション、文化、スポーツなどをレポートさせ、一八○ページの中に、現代家庭の知りたいこと、必要としていること、役に立つことを盛り込んでいる。

現在、ファミリア・クリスチアーナの読者は、七百万人以上を数え、イタリアで出版されている週刊誌の中では、最も多く読まれている。世界では四番目、カトリックの週刊誌の中では世界一の部数を誇っている。

このファミリア・クリスチアーナ誌にならって日本のパウロ会で出されたのが、「家庭の友」誌(昭和二四年創刊)である。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

おしらせ
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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