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【2018年 聖書週間】わたしたちは全体テーマを「喜びに喜べ」とすることにしました

中央協議会から発表された、今年の聖書週間のテーマは「聖性への招き」であり、聖書箇所は「主において喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ4・4)です。これは、今年の3月19日、聖ヨセフの祭日に発表された使徒的勧告『喜びに喜べ──現代世界における聖性──』に基づくものです。そこで、わたしたちは全体テーマを「喜びに喜べ」とすることにしました。

教皇フランシスコの使徒的勧告の表題である「喜びに喜べ」という言葉は、マタイ福音書5・12から引用されたものです。マタイ福音書は、イエスの公生活の初めに山上の説教を置いています。しかも、これは荘厳な形で始められています(5・1参照)。山上の説教の冒頭が真福八端(「幸いである」から始まる一連の教え)で、8つの「幸い」の後に、5・11でもう一度、「幸いである」という言葉が繰り返されます。それまでは三人称複数形、すなわち一般論として告げられていたのが、ここではついに聴衆である弟子たちこそが「幸いである」という点を明確にする、二人称複数形のbe動詞が続きます。「幸いである。そう、あなたたちは」といったニュアンスでしょうか。しかし、それも束の間、次に続く言葉は、やはりこれまでの8つの幸いに沿った、極めて逆説的なもので、「わたしのために人々があなた方をののしり、迫害し、またありとあらゆる、いわれのない悪口をあなた方に浴びせるとき」との表現が続くのです。そのうえで、教皇フランシスコの使徒的勧告の表題が続きます。「喜び踊れ。天におけるあなた方の報いは大きいからである」(5・12)。

それにしても、こういう状況にわたしたちが置かれたときに、「喜び踊れ」、「喜びに喜べ」と命じられたとして、はたして喜ぶことなどできるのでしょうか。いや、喜ぶということ自体、命令されてできることなのでしょうか。

人は、自分で決心して喜ぼうと思ったところで、喜べるものではありません。そのような状態に追い込まれたときに、そこに意味を感じ、だからこそ喜びを感じるような考え方、感じ方を身につけていないかぎりは、どんなに堅固な意志で頑張ったとしても喜びなどわくはずがないのです。だから、「喜びに喜ぶ」ためには、日々の現実の歩みの中で、具体的に神の国、神の恵み深さと喜びを感じ取っていき、自分の考え方、感じ方を成長させていくしか方法はないのでしょう。

こうした視点で、今回の聖書週間中の8日間のテーマを作成しました。毎日、テーマと関連する聖書箇所、聖書引用句、そして簡単な説明を記しています。着想は、拙著『主は「たとえ」で語られた』(vol.1)に拠っています。そのため、説明の最後に、この著書の関連ページを掲載しています。ただし、今回は短い文章で思索を促すことを念頭に作成したため、結果として異なる視点に光をあてることになりました。著書と結びつけて、深めのきっかけとしていただければ幸いです。(聖パウロ聖書センター/澤田豊成神父)

※2018年11月18日(日)~25日(日)の期間、聖書週間の日々のテーマと聖書箇所を掲載いたします。

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