一番近い人 年間第31主日(マルコ12・28b~34)

今日のみことばは、律法学者の一人がイエスに対して、「すべての掟のうちで、どれが第一の掟ですか」と尋ねることから始まります。律法学者なので、律法に関して専門家であり、イエスにとっては、ヘタな答えを出すわけにはいきません。掟と言えば「十戒」とともに、大小合わせて613の掟がありました。小さい掟は、人間の命や所有に大きな影響を与えないもので、大きい掟は、命や多額の金銭にかかわるもの。また613は、否定的な「…してはいけない」という掟が365(一年間の日数)、命令的な「…しなさい」という掟が248(その当時、人体の骨の数が248本と考えていた)を合わせた数字です。

こうした問いに対してイエスは、旧約聖書を引用しながら、第一に「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(申6・4~5)と、第二に「隣人をあなた自身のように愛せよ」(レビ19・18)と答えます。これは的確な回答で、反論の余地がありませんでした。

「隣人」とは、ギリシア語で「プレシオン」が使われ、これは「近い人」という意味があり、ラテン語でも「プロッシムス」(最も近い人)が使われています。「隣人」というと、日本語では「隣にいる人」「たまたま隣の席に座った見ず知らずの人」の感じがしますが、原文では「自分にとって最も近い人」「身近な人」の意味です。家庭であれば、夫婦、兄弟姉妹、修道者であれば一緒の共同体にいる仲間、会員に当たるでしょう。家庭の夫婦だと、結婚当初は仲がよかったけれど、だんだんあらが見えてきて、「こんなはずではなかった」とか…。修道生活でも、「昔は気が合ったのに、今では冷戦状態」など…。近いからこそ、他人の欠点がよく見えてくるのかもしれません。自分にとって、そういう一番近い人を大事にすることをイエスは語りかけます。

「隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばは、自分にとって「一番近い人」は誰かに焦点を当ててみると、本来の意味がよく理解できるような気がします。

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