イエス様と共に歩むという種 年間第29主日(マルコ10・35〜45)

きょうの集会祈願で司祭は、「ひとり子イエスは、すべての人の救いのために自らのいのちをおささげになりました。わたしたちが苦しみや試練の中にあっても、主の十字架に希望を見いだすことができますように。」と唱えます。きょうのみことばは、私たちがイエス様の弟子として歩むためのヒントを伝えているのではないでしょうか。

きょうのみことばは、イエス様の弟子であるゼベダイの子ヤコブとヨハネが自分たちをイエス様が栄光を受ける時に右と左に座らせて欲しいと願う場面から始まります。彼ら二人は、イエス様が宣教を始められた当初に弟子として召されました。きっと、自分たちは他の弟子たちよりもイエス様と親しい関係だと感じていたのでしょう。ですから、みことばは「先生、お願いがあります。ぜひとも、それをかなえてください。」というところから始まっています。マタイ福音書では、彼らの母親がイエス様に同じような願いを伝える場面があります(マタイ20・20)。マルコ福音書もルカ福音書も共通して言えることは、イエス様が受難の予告をされた後でした。

弟子たちは、イエス様がエルサレムに上る途上、驚き、恐れを抱きながらついて行きます。そんな彼らに対してイエス様は「人の子は、祭司長や律法学者たちに渡される。……人の子は三日目の後に復活する」(マルコ10・32〜34)と言われます。このことを聞いて二人の弟子は、いよいよイエス様が復活してメシアとして新しい国を作られるということを意識したのではないでしょうか。それで、彼らは「お願いがあります。」と真剣な気持ちでイエス様に話しかけたのでしょう。彼らの願いにイエス様は「何をして欲しいのか」と答えられます。イエス様は、彼ら二人が何を願うのかをうすうす感じられていたのではないでしょうか。それでも、彼らの口から聞くまで黙っていたのでしょう。それは、イエス様のいつくしみの愛なのかも知れません。イエス様は、私たちの願いにも優しく「何をして欲しいのか」と言われているのではないでしょうか。

彼らの願いはイエス様が栄光をお受けになる時に自分たちをイエス様の右と左に座らせてください、ということでした。この右と左というのは、権力と威光の意味があって自分たちが他の弟子たちより偉くなりたいという権勢欲の表れでした。私たちは、強いか弱いかは別としてこの欲が起こってくる傾きを持っているのではないでしょうか。時には振り返ってみるのもいいかも知れません。

イエス様は、彼らの願いに対して「あなた方は自分が何を願っているのか分かっていない。あなた方は、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることができるか」と言われます。この杯は、イエス様がいよいよ受難を目の前に迎え弟子たちと共に食卓を囲む、【最後の晩餐】の時の杯のことを意味しているようですし、【洗礼】とは、十字架上での【死】を意味しているようです。イエス様は、改めて彼らに自分と共に十字架を担うことができるかと確かめられたのではないでしょうか。彼らの返事は、「できます」という強いものでした。彼らは、イエス様が言われる本当の意味とは、少し食い違いがあったにせよ真剣に答えます。

私たちは、彼らのように「できます」ということができるでしょうか。イエス様は、彼らのその気持ちを汲まれて「あなた方はわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けるであろう。」と言われます。イエス様のこの言葉は、私たちに対しての言葉と言ってもいいでしょう。私たちの生活の中で起こってくる苦しみ、困難、悲しみは、イエス様が言われる【洗礼(十字架)】といってもいいでしょう。パウロは「わたしは、今、あなた方のためにこれらの苦しみを受けていることを喜んでいます。キリストの苦しみの欠けているところを、キリストの体のために、この身で補うのです。キリストの体とは教会のことです。」(コロサイ1・24)と伝えています。私たちは、教会共同体の中でイエス様と共に十字架を担うことができたらいいですね。

イエス様は、二人の弟子たちの願いに対して憤慨している他の10人の弟子たちに「……あなた方のうちで偉くなりたい者は、かえってみなに仕える者になり、また、あなた方のうちで第一の者になりたい者は、みなの僕となりなさい。」と言われます。イエス様が言われることは、神の国、教会の中での【偉い者】ですし【第一の者】という意味のようです。イエス様は、率先して僕となり罪人である私たちのためにご自分の命で贖ってくださいました。パウロは、「この方は、ご自分をすべての人の贖いとして、おささげになりました。……わたしは宣教者とされ、使徒に任じられ、……異邦人に信仰と真理とを説く教師とされたのです」(テモテ2・6〜7)と伝えています。

私たちは、イエス様によって弟子として選ばれ洗礼の恵みをいただきました。私たちは、イエス様が人々の僕として仕えられたように、イエス様と共にイエス様に倣って謙遜な心を保ちながら歩むことができたらいいですね。

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