50. 家庭訪問による書籍普及――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

一九二五年に聖ドン・ボスコの伝記が出た。そのころ、ボラノ神学生(のちの米国聖パウロ会の創立者)は工場長をし、出版企画も立てていたが、ある日、マルチェリーノ神学生と運動場を散歩していた時に言った。「聖ドン・ボスコは私たちの町の出身者だよ。イタリアでも聖ドン・ボスコを大抵の人はしっている。この伝記を町の各家庭に見せて歩いたら、きっとたくさん出るよ。誰をやらせようかな」と。

マルチェリーノ神学生は答えた。「君の生徒を二人ずつ日曜日にやらせたら? アルバからは、たくさんのバスがあっちこっち行っているから、あれに乗って行かせたらいいよ。」ボラノ神学生は、ほかの人のアイディアを、よく取り入れて、すぐ実現するタイプである。「プリモ・マエストロの許可を得て次の日曜日にやってみよう。今日の志願者たちに話しておこう」と言うのであった。

この家庭宣教については、アルベリオーネ神父自身が前々から考えていたことであり、弟子たちにも打ち明けていたことだから、別に反対するわけもなく、かえって、かれらの自発的な奉仕を励ました。

日曜日に志願者たちは、四、五冊の本をたずさえて、それぞれの目的地に散って行った。マルチェリーノ神学生は少々気になって、夕方五、六時ごろ、帰りのバスの着くサン・パウロ広場に出て、かれらの帰るのを待った。バスからおりた志願者たちは、遠くから、手まねでマルチェリーノ神学生にカバンは空になった仕草をし、またポケットをなでまわしてお金でいっぱいになったという身振りをしてみせた。それから修道院の事務所でお金の勘定をしてアルベリオーネ神父に渡した。

次の機会に神学生の係をしていたティト神父が「神学生をも日地曜日に家庭宣教に出かせたい」と提案した。それで日曜日になると、修道院はがらんとなった。みんな家庭宣教に出かけたからである。出発する前にミサにあずかり、朝食をとり敏速に出発準備して出かける。帰るといつもの聖体訪問を一時間して夕食をした。志願者も神学生も休みを返上して、熱心に使徒職をした。こうして聖ドン・ボスコ伝は再版しなければならなくなった。

それからしばらくたったある日、マルチェリーノ神学生が庭を散歩していると、師イエズス修道女会のシスター・スコラスチカが寄ってきて言った。「私たちも家庭宣教をして、聖パウロ会のための食費をかせぎたいと思っています。私たちも聖ドン・ボスコの本を販売してきてもよいでしょうか? どう思いますか?」マルチェリーノ神学生は答えた。「アルベリオーネ神父さんに話してみなさい。喜んで賛成してくれますよ。女性は隣人をまるめこむのは私たちより上手だから。」シスターはさっそく許可をえて、次の平日に、二、三名を家庭宣教に送った。

また聖パウロ女子修道会の院長マエストラ・テクラも、マルチェリーノ神学生にこう言った。

「この家庭宣教の仕事に最も適しているのは、私たちです。私たちも家庭宣教に行っていいでしょうか?」マルチェリーノ神学生は、前と同じように答えた。そして彼女らもアルベリオーネ神父から許可をえて、家庭宣教をはじめた。そのうちに、アルバ教区内をまわり尽くし、ほかの教区にも、教区長の許可なしに家庭宣教をした。ところが、ある教区長から苦情が出て、「シスターにこんな仕事をさせるのは、躓きだ。やめてくれ」と言われた。

シスターは、アルベリオーネ神父のところにきて、この事件を話した。神父は頭を下げて静かに聞き、両手を胸にあてて、「しばしば、こう答えていた。「プロモヴェアートゥル・ウト・アモヴェアートゥル(Promoveatur ut amoveatur)」この意味は、家庭宣教をおもしろく思わない教区長が昇進して移動させられるように祈りましょうという意味である。シスターたちは、たずねた。「教区長さまたちはどのようにして昇進しますか」と。

アルベリオーネ神父は答えた。「たとえばもっと重要な教区に派遣されるとか、枢機卿になるとか、神の意志なら天国にでも召されるのではないか」と言っていたずらぽく笑うのであった。いくらもたたないうちに、イタリアの全国の教区は聖パウロ女子修道会の家庭宣教を閉め出すどころか、歓迎した。

ある日、修道者聖省の長官である枢機卿がアルベリオーネ神父を呼んで、言った。「あなたの創立した会のシスターが修道服を着たまま各家庭を回って本を売っているが、シスターは元来修道院の中で生活すべきものではないか」と。アルベリオーネ神父は立ったまま、頭をうな垂れて黙って聞いていたが、枢機卿が話終わると、「閣下、私の知らないことで、何か不都合なことでもありましたら、おっしゃってくださいませんか」とたずねた。「ええ、具体的なことについては、私は知らないが……」「ありがとうございます。それが私の心配していたことでした。」それからアルベリオーネ神父は家庭宣教の精神をじゅんじゅんと説いた。枢機卿は、アルベリオーネ神父の謙遜と単純さに心を打たれ、ただちに態度を変えた。そしてアルベリオーネ神父を大の親友としてもてなし、新しい形の使徒職として承認した。

アルベリオーネ神父は、こちこちの信仰から無鉄砲に使徒職をやっていたのではなく、ちゃんと計画を立て、将来を見通してやっていたる修道院の庭でポケットの手帳を取り出してマルチェリーノ神学生に向かって、言った。「このページのここを見なさい。君たちは時には私が摂理にまかせきって、ほとんど、めくら滅法に財政をまかなっているみたいに考えるであろう。ところが私は新しいことを始める前によく考える。予防策も立てておく。ここを見なさい。今のところ私たちはこれだけ出版する。だいたい値段はこれだけだ。何か月かのうちに収入はこれだけになるはずだ。マージンがこれだれあれば、次の事業の回転資金にまわすことがてきる。私は販売普及と収入に気を使っていればよい。五か年計画を立て、その間に返済の見通しのない借金は絶対しない。私たちの勤勉な働きと責任感があってこそ、お恵みがよく生かされるのである」と。

そして、人びとの反対を恐れて家庭宣教にちゅうちょしている修道者や修道女たちに対して、アルベリオーネ神父は、こう励ましていた。「やりなさい。やりなさい。心配しなくてもよい。あなた方にやる気がじゅうぶんあれば、不可能なことはありませんよ。庶民は働いて苦労して生活の糧をえていますが、私たちもそれを学ばなければなりません」と。

また印刷工場へ行く司祭たちには、「あなた方の仕事が司祭的なものではないと思ってはいけません。印刷工場は新しい教会であり、印刷機は新しい型の説教壇ですから……」と励ましていた。 以上のように何か事を始める前の慎重さと、いったん初めてからの辛抱強さは、アルベリオーネ神父の神学生時代の次の手記の中にも、ありありと見える。

「その人の優しさは常に外に現れ、常に現実的で、変わるこことなく、雄々しく、自分の意志を有している。一瞬たりとも、行ったことについて悔やまない。なぜなら、この人は、あるがままに理性の導きに従い、落ち着いていて穏やかであり、話したり行動したりする前によく考えるからである。またこの人は、事を始める前には沈着に見通しをたて、継続していくにあたっては辛抱強く、ゆるぐことなく、気力に満ちているからである。最初のうちは少し苦労があるだろう。しかし、会いは神とマリアから出るものであるから、霊魂は、すでに肉を治める力を持ち、忍耐と熱意、効果、甘美さ、愛の恍惚状態のうちに、それを従えるであろう。」

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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