仕える者 年間第25主日(マルコ9・36~37)

今の時代、司教や管区長に喜んでなりたいという人はいるでしょうか。自分でなりたいと思う人を、多くの人々は選ばないのではないでしょうか。「どうして」と思う時に、そうした選びの機会をいただく気がします。

今日のみことばで「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」とイエスは言います。「いちばん先」とは、「第一の者」「目立ちたい」「トップを走る者」の意味が込められています。いったん、名誉や地位を身につけてしまうと、それはなかなか捨て去りがたいものです。ローマの修道院でも、いったん地位を得て、それが捨て去れないケースをよく目にしました。地位のクッションがよくて、その場所からなかなか離れられないのでしょう。名誉や地位の怖さです。

イエスは警告します。「すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と。「仕える者」はギリシア語の「ディアコノス」が使われ、食卓の給仕人(ヨハネ2・5,9)、奉仕職を意味しています。別の個所では、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者(ディアコノス)になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕(ドゥーロス)になりなさい」(マルコ10・43~44)と語ります。「僕(ドゥーロス)」には「奴隷」などの意味もあり、謙虚さと奉仕を意味しています。決して自分の名誉のためではないものが見えるのではないでしょうか。

パウロは宣教にあたり、自分の気に入る人だけを受け入れるのではなく、いろいろな人に仕える道を持っていました。「すべての人にすべてを」(一コリ9・22)の精神で…。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。…わたしは弱いときにこそ強いからです」(二コリ12・9~10参照)。パウロの中には、今日のテーマである「仕える者」の精神がよく見えてきます。

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