イエス様の温もりという種 年間第23主日(マルコ7・31〜37)

私が小学生の頃父親から「そのくらいの傷は、唾をつけていたら治る」と言われてことがあります。何だかきょうのみことばを読むとこの言葉を思い出します。古代では、唾には治癒力があると考えられていたようですが、父がそのことを知っていたのかどうかわかりません。

きょうのみことばは、イエス様が、耳が聞こえず、舌が回らない人を癒される場面です。きょうのみことばの箇所の前にイエス様は、ガリラヤからフェニキア地方に行かれそこで汚れた霊に憑かれた娘を癒す奇跡を行われます(マルコ7・24〜30)。フェニキアは、イスラエルの北の方にある地中海側の地方です。きょうのみことばの始めには、「イエスはティルス地方を去り、シドンを経て、ガリラヤの湖の方に戻り、デカポリス地方に入られた。」とあります。イエス様の足跡を地図で見ますと、ガリラヤ湖を中心に地中海の方からヨルダンの方へと異邦人の地を回っておられるのが分かります。イエス様は、ユダヤ人だけではなく異邦人に対しても宣教をされたのです。

イザヤ書には、「先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダンの彼方、異邦人のガリラヤは栄光の光を受ける。闇の中を歩んでいた民は、大いなる光を見た。暗闇の地に住んでいた者の上に、光が輝いた。」(イザヤ8・23〜9・1)とあります。イエス様は、まさにこの光として来られ、異邦人の地を宣教されたのです。イエス様は、律法学者やファリサイ派の人たちとの問答の後、ティルス地方に行かれます。みことばは「そして家に入り、誰にも知られたくないと思っておられたが、隠れ通すことができなかった」(マルコ7・24)とあります。もしかしたらイエス様は、誰もご自分のことを知らない異邦人の地で休まれたかったのではないでしょうか。しかし、人々はイエス様に休みを与えてくれなかったのです。

イエス様は、フェニキアで娘を癒された後異邦人の地を回られます。イエス様がティルス地方からガリラヤへと向かうところでは、特別な奇跡の記事はありませんが、たぶんイエス様がいく先々で人々との出会いがあり、奇跡が行われたくさんの人におん父の教えを解かれたのではないでしょか。ある意味では、律法学者やファリサイ派の人たちとの問答をするよりも異邦人たちの方がイエス様の教えに耳を傾けていたのかもしれません。

イエス様がデカポリス地方に入られると人々は、「耳が聞こえず、舌が回らない人」をイエス様の所に連れて来て、その人の上に手を置いてくださるように願います。人々は、イエス様がこの人の上に手を置いてくださるだけで癒されると信じていたのです。イエス様は、人々がこの人を思う気持ちに心を打たれたのではないでしょうか。それで、あえてこの人だけを群衆から連れ出され離れたところに移動されます。みことばには書かれてありませんが、イエス様はこの間この人と色々な話をされたのかもしれません。

私たちが耳が聞こえない人とコミュニケーションをするとき、文字や身振り手振りで伝えるか、その人の目の前に行き大きくはっきりと口を動かして伝えるか、または、手話を使って会話をするという手段を取ります。また、耳が聞こえない人は、外部とのコミュニケーションも情報もすぐには入って来ませんし、他の人との意思の疎通も困難を生じます。さらに、舌が回らないというのは、自分が思っていることを相手に言い表すことがうまくできないし、相手は何度も聞き直したり、最後は諦めるか、わかったふりをしたりということになります。

イエス様は、耳が聞こえず、口が回らない人を群衆から連れ出したのは、静かなところでゆっくり話されたかったのかもしれません。そして、彼の苦しみを憐れまれ彼の両耳にご自分の指を差し入れられます。この場面を想像するとき、イエス様はこの人の頬に手で包まれ、たぶん人差し指を入れられたのではないでしょうか。この人は、イエス様の手の温もり柔らかさを頬に感じ、耳に入って来た指の感触を感じたことでしょう。次に、イエス様がご自分の指を口に持って行かれ唾をつけられて、その人の舌に触れられます。イエス様は、おん父に祈られ、この人のこれまでの苦しみを思い嘆息して「エッファタ」と言われます。彼の耳には、イエス様の声が優しくまた力強く響いたことでしょう。

みことばは、「耳は開け、舌のもつれは解け、はっきり口が聞けるようになった」とあります。この人は、ようやく周りの声を聞き、自分の意見をはっきりと伝えることができるようになったのです。もう、周りの人と何の壁もストレスももどかしさもなく会話をすることができるのです。この人の顔は、明るくなり外に出かけて行ったのではないでしょうか。

イエス様は、私たち一人ひとりに対しても同じように憐れまれ、手で触れられ、ご自分の指を私たちの弱いとことに差し入れてくださるのです。私たちは、イエス様と会話をし、自分の弱いとことを差し出し、信頼のうちにイエス様に癒していただくことができたらいいですね。

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