聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭

今回は、現代の聖人の一人、聖ピオ(ピエトレルチーナ)について記すことにします。「パードレ・ピオ」(イタリア語で「ピオ神父様」という意味)という呼称で知られ、多くの人から慕われたこの聖人は、2002年に、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖されました。教会は、帰天の日である9月23日に聖ピオを記念します。

聖ピオは、1887年5月25日に、イタリアのベネベント州にあるピエトレルチーナという町で生まれました。彼に付けられた名前は、フランチェスコでした。彼が生まれたフォルジョーネ家は貧しい農家でしたが、両親はとても信心深く、フランチェスコも幼いころから祈りと信仰のうちに成長しました。1903年、16歳のときに、彼はカプチン・フランシスコ会に入会し、このときから、「ピオ」という名前で呼ばれるようになります。入会から7年後の1910年には、司祭に叙階され、宣教地に派遣されることを望みました。しかし、健康状態の悪化のため、宣教地におもむくどころか、通常の修道生活を続けることさえ困難となり、何度も故郷のピエトレルチーナに帰って療養せざるを得ませんでした。

1916年、長上はピオ神父をサン・ジョヴァンニ・ロトンドという町にある修道院に移すことを決めました。これ以降、ピオ神父は、1968年に81歳で亡くなるまで、この修道院で生活することになります。サン・ジョヴァンニ・ロトンドの修道院に移ってから約2年後の1918年9月20日、ピオ神父の手と足、そして脇腹に傷が現れます。ピオ神父を多くの医者が診察しましたが、だれも医学的にこの傷を説明することはできず、治療することもできませんでした。キリストの「聖痕」を受けたと騒ぎ立てる人々が増えていく一方で、疑う人々も多く、教会当局の「調査」が進められ、さまざまな憶測、誹謗、中傷が飛び交いました。そのため、ピオ神父は数年間にわたって聖職執行の停止を言い渡されたこともありました。しかし、ピオ神父は教会に対する全面的な従順を表明し、すべての指示に従いました。この傷は、ピオ神父が亡くなるまで50年間にわたって、消えることはありませんでした。

「聖痕」、それは確かに偉大な奇跡なのかもしれませんが、ピオ神父自身は激痛とそこから来る不自由さの中で生きていかなければなりませんでした。それにもかかわらず、ピオ神父は自分に与えられた務め、特に祈りとゆるしの秘跡の務め、病者や貧しい人々への奉仕の務めを熱心に果たし続けました。ゆるしの秘跡にいたっては、一日中、罪の告白を聞き続けることもしばしばでした(それほど多くの人たちがピオ神父のもとを訪れていたのです)。ピオ神父は、まさに痛みと苦しみを人々の救いのためにささげ尽くすことによって、生涯、キリストの十字架の神秘に参与し続けました。

聖ピオ司祭を荘厳に祝うミサの福音では、マタイ16・24-27が朗読されます。この個所は、ペトロの信仰告白、ペトロの上に教会を建てるとのイエスの約束、受難と復活の予告、ペトロの無理解とイエスの叱責の後に続くイエスの教えとなっています。

ペトロは、イエスに従い、イエスとともに生活をしていく中で、「イエスとは何者か」という問いに対して自分なりの答えを見いだしました。それが、「あなたは生ける神の子、メシアです」(16・16)という言葉として、ほとばしり出ました。イエスは、このペトロに対して、「あなたは幸いである」(16・17)と宣言し、「あなたにこのことを示したのは人間ではなく、天におられるわたしの父である」(同)と述べられます。こうして、イエスはペトロの上に教会を建て、罪をゆるす権能をペトロに授けることを約束なさると同時に、ご自分の受難、死、復活の神秘についてはじめて明かされました。「この時から、イエスは、ご自分がエルサレムに行き、長老、祭司長や、律法学者たちから多くの苦しみを受けて、殺され、そして三日目に復活することを、弟子たちに打ち明け始められた」(16・21)。ところが、ペトロはこの言葉に納得できません。そこで、「イエスを脇へお連れして、いさめ始め」(16・22)るのです。「主よ、とんでもないことです。決してそのようなことはありません」(同)。ペトロは、イエスの数々の奇跡を目の当たりにしてきました。すばらしい教えの数々を耳にしてきました。ペトロにとって、イエスは人々から称賛されるべき方なのであって、苦しめられて殺されるようなことはあり得ないはずでした。すると、イエスは厳しい言葉でペトロを叱責されます。「サタン、引き下がれ」(16・23)。福音書の中にイエスから叱責されている人々は多く登場しますが、「サタン」とまで呼ばれているのはペトロだけです。ペトロの姿勢がどれほど問題あるものであったかがうかがい知れます。イエスは、その意味を説明しておられます。「お前は、わたしをつまずかせようとしている。お前は神のことではなく、人間のことを考えている」(同)。これは、16・17の言葉、すなわち「あなたにこのことを示したのは人間ではなく、天におられるわたしの父である」を完全に逆にしたものです。ここでの論点は、神のみ心、神の計画に耳を傾け、これを受け入れて従うか、それとも人間の思い、価値観に従うかということなのです。

人々から苦しめられること、排斥されること、殺されることは、人間的にはとうてい価値あることとは思えません。十字架は、人生の失敗、敗北でしかないように見えます。しかし、神はこの人間的には無価値なもの、いや避けて通りたいものをこそ、救いの道としてお定めになったのです。だから、わたしたちはそこにこそ自分の進むべき道を見いだし、歩んでいくように招かれているのです。これが16・24-27のイエスの教えです。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を担って、わたしに従いなさい。自分の命を救おうと望む者は、それを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを得る」(16・24-25)。

自分に与えられる十字架に救いの価値を見いだすこと、確信をもってみずからこの十字架を担うこと、それは決してたやすいことではありません。まして、この十字架がずっと消えないとすれば、それを担い続けることは難しいでしょう。しかし、ピオ神父の生涯はまさにこの十字架を担い続ける歩みを示していると言えるでしょう。キリストの傷跡を死ぬまで絶えず受け入れ、そこから生じる痛み、人々の批判を謙虚に受け止めていくこと、このようにして人間の価値観にではなく、神の計画に従い続けること。ピオ神父の聖性は、聖痕を受けたこと自体にあるのではなく、それを神の計画として受け入れ、すべてを担い続けたということにあるのでしょう。わたしたちには、目に見える形での聖痕は与えられないかもしれません。しかし、それぞれに神の望みに従って十字架が与えられているはずです。ピオ神父の模範に倣いながら、わたしたちも自分の十字架を否定したり、そこから逃げたりするのではなく、この十字架に救いの価値を見いだし、確信をもってそれを担い続けていきたいと思います。

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