神のいつくしみ 復活節第2主日(ヨハネ20・19~31)

今日の復活節第2主日は、「神のいつくしみの主日」とも言われます。ヨハネ・パウロ二世が教皇であった時にこの主日が定められました。

「いつくしみ」とは、どんな意味が込められているのでしょうか。「国語辞典」を調べてみると「いつくしむ」は「かわいがり大切にする。いとおしむ」。「漢和辞典」には、「はぐくみ育てる心持ち」とあり、「かわいがる。情けをかける。めぐむ。なさけ。仏の衆生に垂れる広大無辺の愛」と記されています。日本語の意味としては、「かわいがる」「情けをかける」の意味が強いようです。

ヘブライ語では「ラハミーム」が用いられ、それは「たくさんの母胎によって包み込まれる」という意味です。またギリシア語では「スプラングニゾマイ」が使われ、それは「内臓/はらわた」という意味に由来するものです。古代ギリシアにおいて、人間が亡くなった時、いちばん最初に腐っていくのは、「内臓」や「はらわた」と考えました。腐りやすい部分だけに、人間にとっていちばん弱い部分と考え、その部分に「いつくしみ/憐れみ/同情」の気持ちが出てくるようになり、こうした意味が生じるようになったと言います。またラテン語では「ミゼリコルディア」が使われています。「ミゼル」は「不幸な、哀れな、嘆くべき痛ましい、取るに足りない嫌忌すべき、不健康な、病気の」と言った意味があり、「コルディア」の「コル」は、「心、感情・気持ち、理解」などの意味があり、そこから「いつくしみ/あわれみ」と訳されています。このように「いつくしみ」の意味を、ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語で調べてみると、日本語とは違った味わいがあります。

今日のみことばで、イエスの復活をなかなか信じることのできないトマスに対して、イエスは根気強く接していきます。これもまたいつくしみの現れです。「あなたは、わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちは幸いである」(ヨハ19・29)ということばは、イエスから叱られたようにも思えますが、むしろトマスに対して根気強くかかわっていくイエスの寛大な姿がよく見えてきます。イエスのいつくしみを身近に感じてみましょう。

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