イエス様の肉を食べ、その血を飲むという種 年間第20主日(ヨハネ6・51〜58)

子どもたちに大人気のキャラクターの一つに「アンパンマン」があります。もちろん、大人にも好かれているようです。アンパンマンは、お腹をすかせている人に自分の顔をちぎって「ぼくの顔を食べなよ」と言って食べさせる場面や、歌詞の中にも「愛と勇気が友達さ」と言う一節もあります。なんだか、イエス様を思わせるキャラクターのような感じがいたします。

きょうのみことばは、イエス様が「わたしは天から降って来た、生けるパンである。このパンを食べる人は永遠に生きる。しかも、わたしが与えるパンは、この世に命を与えるためのわたしの肉である」と言われるところから始まっています。ユダヤ人たちは、イエス様の言葉を聞いて、「この人は、どうして自分の肉をわたしたちに食べさせることができようか」と互いに激しく議論を始めます。確かに普通に考えると、自分の肉を食べさせると言うのは理解できません。

彼らは、イエス様からパンを食べさせていただき満腹になり、イエス様をユダヤ人の王にしようとしていました。それから彼らは、イエス様がご自分と【聖体】との関係をご説明され、「わたしは命のパンである」と言われると、イエス様について不平を言い出し、さらに今回は、「激しく議論」をし始めます。きょうの箇所には、出て来ていませんが、「弟子たちの多くはイエスに背を向けて去り、もはやイエスと行動をともにしなくなった」(ヨハネ6・66)とあります。

去って行ったユダヤ人たちは、自分たちが思い描いていたような王でないこと、自分たちが理解できない教えを聞くことによって、イエス様のもとから去って行くのです。私たちは、時々彼らのようにイエス様を自分中心にまた自分の都合に合わせて捉えてしまう傾きがあるのではないでしょうか。イエス様は、いつも私たちを愛で包んでくださいますが、時々、私たちの目にはそれが【愛】とは映らない場合もあります。例えば、病気や貧しさ、事故や災害などで苦しんでいる時、「どうしてイエス様は、私にこのような苦しみや痛みをくださるのだろうか」と嘆いてしまいます。これは、私たちにとって当たり前ですが、イエス様の愛は、その中でも働いているのではないでしょうか。

山口県周防市で起こった藤本理稀(よしき)君の事件で両親は、心配で不安な3日間を過ごします。彼らは、生きた息子に会えないのではないかと不安になり、「どうして私たちの息子が行方不明にならなければならないのか」と嘆いたことでしょう。しかし、見返りを求めないボランティアで捜索に参加した方によって無事に救出されます。私たちの「苦しみ」の中にもイエス様の【愛】が働かれるのです。

きょうのみことばの中でイエス様は、「わたしの肉を食べ、その血を飲む」と何度か言われます。イエス様は、その肉を食べ、血を飲む人は、「永遠の命を得」「終わりの日に復活させ」「わたしの内に留まり、わたしもその人のうちに留まる」と約束されます。では、イエス様が言われる「わたしの肉を食べ、その血を飲む」とは、どのようなことなのでしょうか。この言葉は、最後の晩餐の時にイエス様が言われた「取って食べなさい。これはわたしの体である。……みな、この杯から飲みなさい。これは、罪の赦しのために、多くの人のために流される、わたしの契約の血である。」(マタイ26・26〜28)と言う言葉を想い起すことができるのではないでしょうか。イエス様が言われた「わたしの肉を食べ、その血を飲む」とは、ミサの中でいただいている【聖体】のことです。私たちは、【聖体】を実際に舌の上に置き、味わい飲み込んでいます。また、みことばも同じように耳で聴き頭と心を通して味わっています。私たちは、この【聖体とみことば】によって養われ永遠の命を得、イエス様の所に留まり、イエス様も私たちの所に留まってくださるのです。

私たちは、イエス様が言われた「わたしの肉を食べ、その血を飲む」と言うことをどのように【聖体とみことば】と結び合わせ、生活の中で実感し生きているのでしょうか。それは、イエス様の受難と復活の中にヒントがあるような気がいたします。イエス様は、私たちへの最高の愛としてご自分の命を私たちにくださいました。このイエス様のみことばの実践は、私たちが日々の生活の中で行う家族や周りの人への奉仕や、困っている人に手を差し伸べたり、悩んでいる人の話を聴いたりという愛の実戦ではないでしょうか。その中には、時間や労力、時には経済的な負担という痛みや困難も生じることがあるでしょう。それらのことを生活の中で意識する時、初めて「わたしの肉を食べ、その血を飲む」ことを行うと言ってもいいでしょう。

パウロは「いつも、父である神にすべてのことを感謝し、キリストを畏れ敬う心を持って互いに従いなさい」(エフェソ5・20)と伝えています。私たちの生活の中で起こる三位一体の神の働きに敏感になり、感謝と信頼の中でイエス様の受難と合わせて、自分自身を捧げていくことができたらいいですね。

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