聖体を頂くという種 年間第18主日(ヨハネ6・24〜35)

初聖体を受ける前の子どもにたちにとって【聖体】は、どのようなものなのでしょう。私がまだ幼稚園に通っていた頃に、親と一緒に聖体拝領の列に並び司祭の前に行きました。そうしましたら、司祭が私の口の中に聖体を入れてくださったのです。その時の私は、まだ初聖体前ですし聖体が何であるかを勉強したわけでもありません。ただ、その時の聖体の味は、牛乳瓶の蓋のような感じがしたのを覚えています。その後、小学3年生の時にちゃんと要理を習って初聖体をいたしました。今考えると、イエス様が私の所に飛び込んできたような気がいたします。

きょうのみことばは、イエス様が5,000人以上の群衆にパン5つと魚2匹を食べさせ全員を満腹させるという徴(奇跡)を行った翌日の場面です。群衆は、イエス様と弟子たちがそこにいないことに気がつき、イエス様を捜し求めてカファルナウムに行きます。そして、イエス様を見つけた群衆は、「ラビ、いつこちらにおいでになったのですか」と尋ねます。彼らにとってイエス様は、他の律法学者と違い特別な「先生」であり、自分たちを導く「王」という存在であり、何よりも徴によっていつも自分たちのお腹を満たしてくださる方だったのです。

イエス様は、彼らに「よくよくあなた方に言っておく、あなた方がわたしを捜し求めたのは、徴を見たからではなく、パンを食べて満腹したからである。なくなってしまう食べ物のためではなくいつまでもなくならずに、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」と答えられます。イエス様は、群衆がご自分を捜しにきた理由をご存知だったのです。それでも、本当に大切なものは、肉体的な満腹を求めるだけではなく、「永遠の命に至らせる食べ物のために働くこと」ですと彼らに答えられます。

私たちは、収入を得て自分が生活するために、また、家族を養うために働きます。イエス様が言われる「永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい」ということは、このような肉体的、物質的に満腹する生活のための働きとは、少し違うような気がいたします。イエス様が言われる【永遠の命に至らせる食べ物】とは、ご自身のことを言われているようです。「働く」という言葉は、「端」を「楽」にするとも言えるかもしれません。周りの人を「楽」にさせる「はたらき」をして、自分も幸せになるという意味にも取れるのではないでしょうか。ここに、「愛」があるような気がいたします。私たちは、「労働」「活動」「富を得る」という「パンを食べて満腹するため」の働きにだけに重点をおき、大切なイエス様のための【働き】を忘れてしまっているのかもしれません。

人々は、イエス様が言われたことに対してピントがずれていても何となく言われた意味がわかってきたのでしょう。「神の業を行うためには、何をすればよいのですか」と尋ねます。イエス様は、「神が遣わされた者をあなた方が信じること、これが神の業である」と答えられます。人々は、「神の業」のために何か活動を行なわなければならないと思っていたのです。これは、私たちにとっても「落とし穴」なのかもしれません。以前私が行き詰まっていた時に、ある方から「ブラザーは、何かしなければならないと思っていませんか。そうではなくて、そこにいるだけでいいのですよ。『何かをする』という『doing』ではなく、ただそこにいるという『being』でいいのです」と言われました。何かをしなければと思っていた私に対して「何もせず、ただそこにいる、留まる」という答えは「目からウロコ」という感じでした。イエス様が言われる、「わたしを信じなさい」ということは、「何かをする」というよりも「私を見つめなさい」「私に信頼しなさい」「私に任せしなさい」という意味ではないでしょうか。

人々は、イエス様の答えにまだ納得ができずに「あなたを信じるために、あなたはどんな徴を行ってくれますか。」と質問をします。そして、かつてモーセがイスラエルの民にマンナを食べさせたことを伝えるのです。イエス様は、彼らに対して「マンナ」を与えたのは、モーセではなくおん父の業であることを伝え、ご自分こそがおん父から遣わされて天から降ってきたパンであることを伝えます。ここでも、彼らは、イエス様が言われることを理解できていません。イエス様は、「わたしが命のパンである。わたしの所に来る者は、決して飢えることがなく、わたしを信じる者は、もはや決して渇くことがない。」と言われます。イエス様は、私が【命のパン】となりあなた方を養い、もう飢えることも渇くこともないようにしましょうと言われているのではないでしょうか。

私たちは、【聖体】の中にイエス様がおられるということを信じ、イエス様をいただきます。イエス様は、私たちの「口」に自らお入りになられ、私たちの体全体に行きわたります。イエス様は、私たちの「飢え」と「渇き」を満たして下さいます。私たちは、きょういただく【聖体】を深く丁寧に味わいながら【拝領】することができたらいいですね。

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