何事にも「ハイ」といえる人になりたい 七種一一修道士

ピオ十世山口輝男神父の司祭叙階50周年とトゥールのマルチノ七種一一の誓願官立50周年の『感謝のミサ』と『祝賀会』においで下さり心より感謝いたします。

私は、1946年7月21日(日)に佐世保市の「黒鳥」に生まれました。幼稚園よりカトリック三浦町にある純心聖母会の「聖心幼稚園」にお世話になり、72年になりました。この頃の「幼稚園」は、信者の園児だけをひとクラスにしていて『卒園』が初聖体でした。この「聖心幼稚園」も園児の減少により、今年の「卒園式」をもって「閉園」なりました。

今の世の中、コンピューターから始まってメール、スマホ、Twitter、SNSなど、まだ頭の中にピーン来ませんが、「聖パウロ会」を知ったきっかけ、そして「入会」のきっかけは、ミサが終わり薄暗い教会の中でどこからともなく現れた「二人」の青年でした。初めて「聖パウロ会」のパンフレットを渡されたことがきっかけで「聖パウロ会」を知りました。渡されたパンフレットは募集用に使われていたようなパンフレットで白黒のものでした。当時は最新のものだったのでしょうネ。

この頃は神学生、シスターを目指す志願者が大勢いましたので、「神学生」てなに? くらいしか考えていませんでしたが……。

修道院入会は、1960年8月26日(土)です。中学2年夏でした。教会では数人の仲間たちと「堅信」のための準備をしていましたが、「一緒に『堅信』を受けよう」と仲間たちは言ってくれましたが。後ろ髪(?)を引っ張られる思いで、入会のために福岡修道院(小笹)に向かいました。あの当時の仲開たちの中の数人は帰省するたびに教会で会うことができます。「もう良いおじさん、おばさん?」にということは私も? 入会の時、主任神父様から額をいただきました。そこには『神様だけは解ってくださる』と書かれていましたが、いまだに解っていません。

初誓願は1968年3月19日(火)聖ヨゼフの日、修道会の会員、両親を始め大勢の方々の見守る中で、初誓願を官立致しました。修道名は「トゥールのマルチノ」記念のカードには『主よ、み旨のままに』としました。何事にも「ハイ」といえる人になりたいと思ってこの言葉にしました。実行されていますかね? 初誓願から有期誓願期の問は修道院内の使徒職につきました。この時期は少々の時間もあり、オルガンなどの練習も沢山できました。この時期のことが今でも役に立っていると思っています。

終生誓願は1974年6月30日(日)でした。記念のカードの言葉は初誓願の時と同じ『主よ、み旨のままによとしました。何事にも「ハイ」といえる人になりたいと思ってのことです。今もその気持ちは変わりません。使徒職は、使徒職はトラックで印刷物を運んだりする事が多かったのですが、「大阪修道院」の開設、「京都センター」の開設と、私自身の身の回りが激しく変わってきましたが、「主よ、み旨のままに』と受け入れる事ができました。

聖パウロ修道会には、『信心』『勉学』『使徒職』『清貧』という四つの柱があり、車の四輪にたとえられていますが、私白身がこの四つの柱を「どのように生きている』か、入会して58年になりますが、この間に、修練期、初誓願から有期誓願期、終生誓願から今日まで、この四つの柱を『どのように生きてきたのか』を改めて考えているところです。

あなたにオススメ