福者ヌンツィオ・スルプリツィオ、10月に列聖へ 教皇が発表

教皇フランシスコは、バチカンで7月19日、列聖に関する件をめぐり枢機卿会議を主宰し、青少年と若い労働者たちの模範、福者ヌンツィオ・スルプリツィオ(信徒、イタリア1817-1836)の列聖を発表した。

列聖式は、2018年10月14日、バチカンで執り行われる。

なお、10月14日の列聖式は、ヌンツィオ・スルプリツィオを列福した教皇パウロ6世(1897-1978)をはじめ、オスカル・アルノルフォ・ロメロ・ガルダメス大司教(エルサルバドルの殉教者)、フランチェスコ・スピネッリ神父(イタリアの教区司祭で女子修道会創立者)、ヴィンチェンツォ・ロマーノ神父(イタリアの教区司祭)、マリア・カテリナ・カスパー修道女(ドイツ出身の修道会創立者)、ナザリア・イニャチア・ディ・サンタ・テレザ・ディ・ジェズ修道女(スペイン出身で宣教女会を創立)と共に列聖される。

ヌンツィオ・スルプリツィオの生涯は、貧困と、過酷な生活、重い病苦を背負いながらも、純粋で力強い信仰に支えられたものであった。

福者ヌンツィオ・スルプリツィオは、19世紀初頭、イタリア中部アブルッツォ地方の寒村に生まれた。父は靴職人、母は糸を紡いで生計を立てていた。ヌンツィオは、3歳で父を失い、5歳で母を失った。彼を引き取った母方の祖母も3年後に亡くなった。

ヌンツィオは母方の叔父に引き取られたが、そこで待っていたのは鍛冶場での重労働であった。叔父は幼い甥を労働力としか見なさず、教育を受ける機会はもとより、十分な食事も、防寒に必要な衣服も与えなかった。彼の年齢や体の虚弱さを考慮せず、鍛冶場で一日中働かせ、運ぶ手段も道具もないままに、厳しい気候の中、大人でも重い物を持たせ、山道を歩いて遠距離に届けさせた。

ヌンツィオの慰めは、教会に入って、聖櫃の前で祈り、イエスと共にいることだけであった。

過酷な環境の中で、ヌンツィオの片足は壊疽を患い、14歳の時、ラクィラの病院に入院。しかし、治療の手立てがないまま帰宅すると、再び叔父に容赦なく労働を強いられた。

この頃、ナポリで軍役に就いていた父方の叔父が、ヌンツィオの噂を聞き、彼をナポリに呼び寄せた。そこで「貧しい人々の父」と呼ばれていた、信仰篤いヴォーキンガー大佐との出会いによって、彼はナポリの病院で治療を受けることになった。

入院中、ヌンツィオは病者たちの使徒となり、患者たちを見舞い、信仰に満ちた言葉で彼らを励まし、自らの苦しみを捧げる価値を教えた。子どもたちに公教要理をほどこし、大人たちを信仰生活へと導いた。

奉献生活を志していた彼は、第二の父となった大尉の家に引き取られてからも、祈りや、ミサ、黙想を通し、一日をくまなく神に捧げ、修道者のような生活をおくった。

治療の甲斐あって、一時小康状態を得たものの、しかし、その後、彼の病状は急激に悪化。

激しい苦痛の中でも「イエスは自分のために大変苦しまれた。なぜわたしもイエスのために苦しめないことがあろうか」「たった一人の罪びとの回心のためにでも、命を捧げることができるなら」と語っていた。

自らの苦しみを神に捧げたヌンツィオ・スルプリツィオは、1836年、19歳の若さで帰天。彼の聖性に対する人々の声は、ただちに広まった。

教皇ピオ9世は、1859年、ヌンツィオ・スルプリツィオの英雄的徳を認め、尊者として宣言。

教皇パウロ6世は、第2バチカン公会議中の1963年、彼を福者として宣言し、青少年と、若い労働者たちの模範として示した。

ソース:バチカンニュース

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