44. 聖師の弟子(修道士)――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

アルベリオーネ神父は、他の修道会、たとえば聖ベネディクト、聖フランシスコ、聖ラサールの創立した修道会の人たちと親しく交わった。いずれもその修道会には男子の修道士がたくさんいた。

修道士は司祭ではないが、修道司祭と同じ清貧、貞潔、従順の修道誓願を宣立し、司祭とともに生活と祈りと使徒職の一つの共同体を形成し、同じ規則で統轄され、同じ霊性上の恩恵にあずかる。司祭と違う所は司祭のようにミサをささげず、告白、結婚などの秘跡を授けないことである。能力さえあれば修道士は広報機関の技術面に限らず、マス・コミ関係の編集、創作、営業販売面でも働く。

アルベリオーネ神父は、他の修道会の修道士を観察し、師イエスの信心を深めるうちに、聖パウロ会の中にもこの修道士の必要を感じはじめ、こうしるしている。

「他の修道会の修道士を見て、主は世の中に多くの寛大な人びとを散在させ、彼らを司祭職のかたわらにあって完徳に励むようにと、ご自分のもとに呼びよせられるのだということを知った。誰が彼らにとびらを開いて、特別の聖性を指し示すという親切を実行するのだろう。これら神のちょう児である若者たちで、ユリ、バラ、スミレの庭園を作れないだろうか?

さらにそれらに一つの使徒職を合わせられないものだろうか? かって修道司祭たちに熱誠のわざと人びとの霊的な世話をする道を開いた修道会が起こったように、今日必要なのは修道士たちを司祭の熱意にあずからせ、かれらにある司祭職のようなものを与えることである。司祭は著作し、修道士は技術的働きによって、これを倍加し、普及する。これは正しい。『あなたがたは清い国民、王の祭司である。』

司祭と修道士は天国の冠を用意するために、同一の使徒職において一致し、修道生活において密接に結ばれる。

……使徒業は私たちを神の拡声機にする。著作家である司祭と技術者と普及者は、会憲の精神と、文面に従い、教会からまかされた使命の中で、一つの使徒職に結び合わされている。

聖パウロは、自分の手紙を考案して、口述させ、自分で署名した。善いキリスト信者は、その手紙を複写して倍増し、普及させた。聖パウロは、本当の出版使徒職を実行した。

……私たちの祭壇は、機械、マイクロフォン、映写幕である。印刷所、制作室、映写室、放送室は、私たちの聖堂のようなものである。誘惑は多いが、しかし私たちは聖パウロの『わたしたちは、 すべてを福音のためにする』という格言をわたしたちのものとしよう。」

「すべてをキリストのために集める」(エフェソ1.10)ということ、また万事に福音を浸透させるという心がけから、アルベリオーネ神父は、ナザレの聖家族とパレスチナで聖師に従っていた使徒団の模範にならって、パウロ家を創立した。

その一部として、司祭と協力して聖ヨゼフのような役目をする人、また救いのメッセイージを宣べ伝えるために遣わされた七二人の弟子のような人びとの役割りを果たすDiscepoliディセポリ(弟子)を考えた。この弟子たちは司祭の役務に参与し、公報使徒職において主役を演ずる。「弟子」の言語はラテン語の「ならう、学ぶ」であるから、パウロ会の「弟子」は英知であり、真理であり、生命である師イエスに学ぶ修道士である。

一九二一年(大正十年)聖パウロ会にいた二人の若者が、世紀の勉強をやめて印刷の仕事を全面的にしたいと言いでしたので、アルベリオーネ神父はその願いを聞き入れて、修道士の道を開いた。こういう若者は、年々増加し、一九二四年から、印刷に限らず、造園、レンガ焼き、事務係、大工、機械工、運転手、画家、仕立て、左官、農耕、製紙の仕事に従事するようになった。

一九二七年(昭和二年)三月に教区の認可をえて、若者たちは修練の準備をはじめ、誓願宣立後は「聖師の弟子」と呼ばれた。そして一九二八年七月、聖パウロ大聖堂の落成式に七名の若者が修道服を初めて着衣した。それは司祭のスータンに皮のバンドをつけ、そのバンドに大きなロザリオをぶらさげたものであった。その着衣式の時、アルベリオーネ神父は次のように説教した。

「この人たちは私たちにとって最も親しい人たちである。というのも、実現は最後になったが、考えの中では最初にあった方たちであるから。実際すでに一九○九年(明治四二年)以来、本会の第一の考えは、悪い出版物の罪をつぐなうために特別な方法で献身する人たちのグループを集合させることであった。

それでここに今日、たくさんの祈りとたくさんの犠牲の後に、主は、若者七名の第一グループが修道制服を着衣するために祭壇へ近づくというお恵みを与えてくださっている。この制服は特に悪い出版物で犯される数知れない罪をつぐなうため、世間に死んで主に聖別奉献されたことを示している。

それで、この人たちは出版使徒職の分野で、自分たちのエネルギーを使い、隠れた諸徳をたえまなく実行し、苦行の、聖なる生活をしながら特別な方法でつぐなうであろう。この人たちの主な信心はミサ聖祭に信心深くあずかることと、十字架の道行きを行うことである。」

アルベリオーネ神父は、このディセポリ(弟子=修道士)は、司祭の二倍ぐらいの数になるのが理想と考え、司祭とともに、「神の光栄と人びとの平和」のために働くことを念願して、こう述べている。

「これこそ、ディセポリだ。現代的手段を用いてする司祭の宣教はディセポリの働きによって一般労働者と働く場合のわずらわしさから解放され、はかりしれないほど倍加して行く。修道士は、みずからの働きを高め、喜ばしいものとし、増大する。こうして神の光栄が輝き、福音が告げられ、人びとはてらされる。

……修道士は聖ヨゼフのように、神のみ国の到来のために協力することによって、困難な仕事をおこなっている。彼らは聖ヨゼフに似た聖化の道を持っている。彼らは敬虔の精紳と神のみ旨への謙遜な一致のうちに、また活動にみちた沈黙のうちに喜びを見い出す。彼らは活動生活に観想生活を合わせる。

修道士の善業は、誓願によって、家庭においてなされるものよりはるかに大きな報いを得る。修道士の労働は、司祭と一致して行われるがゆえに、福音宣教の使徒職、社会への霊的貢献となる。もし忠実であれば、修道士は救いの確かで明白なしるしを自分の中にしるす。平和な生活を贈り、危険からは遠ざかり、倒れてもすぐ立ち上がり、救いのための多くの手段を持ち、より平静な死を迎え、天国では、特別な栄光が与えられる。」

アルベリオーネ神父は、修道士たちに聖ヨゼフのように仕事をし、聖ヨゼフに似た聖化の道を歩めと勧め、聖ヨゼフについて、こう述べている。「聖ヨゼフにおいて労働は高められた。彼には思考と行動の完全な調和があった。彼において仕事は、忍耐、活動、それを必要としている人への愛徳であった。『彼は大工で、大工の息子ではないか』(マルコ6.3)。イエスとヨゼフは働く者の模範である。

イエスとの内的一致の生活は、聖ヨゼフにとって恩恵、諸徳、善と慰めの絶え間なく流れ出る泉であった。聖ヨゼフは、常に習得し、模倣し、自己を聖化していた。彼のイエスとの一致の生活は、他のすべての人にもまさって高められた、功徳の多い、感謝の生活であった」と。

初期のパウロ会の修道士の中に、アルベリオーネ神父の精紳を忠実に実行し、聖ヨゼフのような生活を送った人がいた。それはアンドレア・マリア・ボレルロ修道士である。アルバ修道院で模範的な生活を送り、一九四八年に死去し、一九六四年から列福調査が始められている。

こうして会員も増え、使徒職も軌道に乗り出すと、アルベリオーネ神父は次の計画を実現し出した。それはパウロ家の生活や活動の中心ともいうべき霊性の道場、すなわち聖パウロ大聖堂の建築である。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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