人里離れた所 年間第16主日(マルコ6・30~34)

ある風鈴を作っている会社の人が、「風鈴はガラスで作るけれど、最近、その音の高さが以前よりも高くなった」と言っていました。それは騒音に影響するようで、それに負けじと音が高くなっているのかもしれません。同時に、人間の社会もストレスや疲れがたまっているのでしょう。

毎日、慌しい日々を過ごしていますが、休暇をどのように過ごそうとしていますか? イエスは弟子たちに、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と語ります。弟子たちもかなり疲れていて、こうしたゆっくりとした時間が必要だったのでしょう。「人里離れた所」と言いますが、ギリシア語原文では「エレモス」が使われています。これは「荒れ野」「砂漠」を意味することばで、とても意外です。私たちが休暇をとってのんびりしたいと思えば、自然に満ち溢れた湖、海辺、緑にあふれた山などを想像します。

ところがイエスは「人里離れた所」と言って、人間がだれもいないような、しかも危険に満ちたような「荒れ野」「砂漠」を示唆します。確かにそこは何にもないので、全てを忘れてゆっくりできる所ではないでしょうか。私たちがゆっくりできる所というと、全てが満ち足りて、全てが整っている場所を想像するかもしれません。むしろ、何にもない所でのんびりと過ごすと、今までとは違う何かを得ることができるのかもしれません。まさに「無の境地」の休暇。

疲れきった弟子たちを見てイエスはまた「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ」ます。飼い主のいない羊は、まとまりがなくなるものです。野獣の餌食になる危険さえあるでしょう。そんな彼らの状況を察知して、イエスは心から憐れんでいきます。そこに弟子たちが癒される秘訣があるのではないでしょうか。

慌しい現代において、その癒しを求めている人が多いものです。あらゆるもので満ち足りた社会だからこそ、何にもない世界がかえって癒しを与えてくれるのかもしれません。

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