宣教と信仰という種 年間第15主日(マルコ6・7〜13)

私の実家は、福岡県の篠栗という所です。ここは、町全体に「四国八十八箇所」の札所があり巡礼地となっていて、白衣と金剛杖(こんごうじょう)そして菅笠(すげかさ)を身につけた「お遍路さん(巡礼者)」をよく見かけます。彼らが被る笠には、「同業二人(どうぎょうににん)」と書かれてあります。これは、巡礼者は、一人ひとりが巡礼の中でいつも弘法大師と一緒に巡礼をしているという意味です。そして、町の人は、彼らに対して尊敬の気持ちを表す「お接待」と言って巡礼者に施しや声かけをします。もしかしたら、弟子たちの出で立ちと共通するところもあるかもしれませんね。

きょうのみことばは、イエス様が弟子たちを派遣する場面です。イエス様は、弟子たちを呼び寄せ、二人ずつ宣教に遣わすことを始められます。弟子たちは、今までイエス様と生活し、イエス様がなさった奇跡や教えを体験しました。その中では、ヤイロや出血病の女の癒しなどで彼らの信仰を感じることができるという恵みの体験、反対に、ナザレの人々の不信仰さの悲しさの体験や、「悪霊の頭によって悪霊を追い出している」という非難や揶揄を受ける体験などをイエス様と一緒にしてきました。そんな弟子たちは、イエス様が町々で宣教されたように今度は、自分たちが宣教へと派遣されるのです。彼らの気持ちは、どのようなものだったのでしょう。彼らは、緊張と不安、それといよいよ自分たちが一人立ちしてイエス様のように宣教できるという思いがあったことでしょう。

イエス様は、弟子たちを二人ずつ組みにして派遣されます。それは、二人という最小の【共同体】で宣教をするという【教会】を意味していることもありますし、お互いが祈り合い、助け合い、さらには、共同としての恵みを共有するための意味もあったのではないでしょうか。時には、意見の食い違いがあり、それを解決するという苦しみも味わったことでしょう。イエス様は、弟子たち一人ひとりが成長する【共同体(教会)】として二人ずつ派遣されたのではないでしょうか。これは、私たちの小教区の共同体、または、キリストを中心とした福音的な人々の集まりを振り返ってみても共通することがあることでしょう。

イエス様は、彼らに汚れた霊に対する権能を与え、杖一本のほかはいっさい、パンの袋も、また帯の中に小銭も持たないように、また、履き物は履いてもよいが、下着は2枚着ないようにと戒められます。イエス様は、まず汚れた霊に対する権能を与えられます。当時の病気は、自分か家族の罪の結果とされていましたので、イエス様が弟子たちにその汚れを浄める権能、また、イエス様が汚れた霊に悩まされた多くの人々を癒されたように、弟子たちにもご自分と同じ権能を与えられたのでしょう。

マルコ福音書の派遣の場面は、マタイやルカ福音書と比べると「履き物と杖を持って行っていい」というやや緩やかな部分があります。それは、マルコがパウロと共に異邦人の地を主に宣教したという背景があるのではないでしょうか。多分、マルコは「履き物と杖」のありがたさを身に染みて知ったのかもしれません。杖は野獣や敵から身を守る道具となりますし、道を歩くときの助けとなり、また足場が悪い岩場やぬかるみを歩くときの支えにもなります。それと同時に【権威】を表す意味もあるようです。

イエス様は、弟子たちに宿泊についても一つの所に留まるようにと言われます。当時は、今の様にどこにでも宿泊所はありません。そのため、旅人に対しては、自分たちの家を提供していたようです。弟子たちは、町々で汚れた霊を追い出し、病人を癒し、洗礼者ヨハネが教えたように「悔い改めるように」と宣べ伝えます。人々は、弟子たちの姿を見て、「私の家に留まってください」と彼らに言ったのではないでしょうか。その中で、人々は前の家よりも弟子たちをもてなそうという見栄や、反対にもてなすことができないという悲しい気持ちにならないような配慮があったのかもしれません。また、弟子たちの中に起こってくる誘惑から守るためにも一箇所に留まるようにと言われたのでしょう。

弟子たちにとって派遣は、生やさしいものではありませんでした。生活する上での衣食住を確保してからの宣教ではありません。時には、その日の安全も危ういときもあったことでしょう。弟子たちは、様々な困難を経験しながら宣教をします。しかし、困難と同時に実りという恵みもいただきます。そこには、まさにおん父への信頼と信仰が最も必要とされます。物質的、人間的、精神的な困難を乗り越えるという信仰、人々が癒され、教えを受け入れて悔い改める姿を体験しておん父への感謝をするとともに、自分たちの信仰が豊かに成長するという恵みをいただきます。

私たちは、イエス様が弟子たちを派遣された時と同じ【権能】が与えられ、宣教に派遣されています。置かれた場所でまた、どのような時においても、三位一体の神が共におられ、助けてくださるという信頼のうちに信仰の恵みを受けて歩むことができたらいいですね。

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