43. ふしぎな示現――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

一九二二年(大正一一年)にアルベリオーネ神父は健康を害し、一週間ベッドにいて何も食欲がなかった。

その時、カノニコ・キエザ神父が見舞いに来て、「聖人たちというものは、少し体の調子がよくなったり、悪くなったりしながらも、その間に善いことをして向上前進するものだ」と言っていた。

しかしある人たちは「創立者が、もっと健康であったら、もっと善いことをしたでしょうに」と嘆くのであった。こう言う人たちに対してキエザ神父は答えた。「いいえ、あの人は元気であると一人分の仕事しかしないが、健康がすぐれないと一○人分の仕事をする」と。

アルベリオーネ神父は、この年に起こったふしぎなことをこう回想している。

「一九二二年ごろから最も鋭い苦痛を感じ始めた。初めて建設した修院に入居したばかりの時、一つの夢を見た。二百という数字がしるされているのを見たが、その意味はわからなかった。次いで“みなを愛せよ、寛大な人たちは多くなるだろう。だが、おまえは脱線する人や退会する者のために苦しむだろう。しかし、堅忍せよ、すぐれた人びとを得るだろう”という声が聞こえた。二百という数字は聞いた事柄とは何の関係もなかった。 だが、その苦痛は心にささった一本のとげのように、いつまでも彼にのこされたままたった。」

またアルベリオーネ神父は、数年間苦しみ悩んだある人びと、祈っていると、ある光りを受けた。

「お前は間違うことができるが、私は間違わない。召命というものは、私から出ることで、決してお前からのものでないのである。この『召し出し』こそ、私がパウロ家と共にあるということの外的なしるしである。」

聖書に「主が家を建てられるのでなければ、建て者の勤労はむなしい」(詩編127.1)とあるが、アルベリオーネ神父の事業は、まさに、この聖書の生きた証拠である。

アルベリオーネ神父は、こう回想している。

「会の内外の人びとが、彼の無数の不足を補ってくれた。さらに、一つの秘密は守らなければならないが、それにしてもパウロ家は主が望まれたものだということと、パウロ家は主の英知と善良さによる超自然的な介入を受けたということの数多いしるしを持っている。私たちの会が四つであることを主はよみされた。だが、私たちは次のように言うことができる。『キリストの愛は、私たちを一つに集めた……私たちがいっしょに集まる時、心の一致を破らぬようにように警戒せよ。』」

アルベリオーネ神父は一九二三年も病気がちで、空気の良い ベネヴェロの教会に療養に行った。九年前のパウロ会創立のころも体が弱く立っていることもやっとで、この同じ教会で二か月ほど療養し、主任司祭に告白し、少年少女たちにカトリック要理を教え、のちにその中から聖パウロ家にふさわしい志願者を見つけて、神父やシスターに育てた。

次に紹介するのは、このベネヴェロで起こった出来事である。一九二三年(大正一二年)三九歳のアルベリオーネ神父にふしぎな現象が起こった。

その時、アルベリオーネ神父は重病にかかった。医者の診察では、結核であと一年半しかもたないだろうとのことであった。

しかし本人は、「肺病ではない、医者のまちがいだ。ほかの人にうつして迷惑をかけるような病気ではないから、私を信じてくれ」と、会員たちにしつように言っていた。その時、夢の中で地平線上の太陽が黒ずんでいるのを見た。修道院の庭には大勢の志願者や司祭らが散らばっていた。

やがて太陽は突然光を取り戻した。そして黄ばんだ麦畑の真ん中に主キリストが現れて「恐れることはない、私はあなた方とともにいる。ここから、照らそう。悔い改めの心を持ちなさい」とおっしゃつた。

それをアルベリオーネ神父は、神のみことばと確信し、自分はこの病気では絶対死なない、まだやるべきことはたくさんあるとの自信を得た。それから間もなく神父の病気もぬぐったように全快した。

この夢のことをアルベリオーネ神父が指導者に打ち明けると、こういう答えがあった。

「安心しなさい。夢かどうかは別として、言われたことは聖なることです。このことばをあなたのためにも全会員のためにも生涯のプログラムおよびしもしびとしなさい」と。

アルベリオーネ神父の解釈によると、「私はあなた方とともにいる」というのは、イエスがあなた方の家族(パウロ家)とともにいて、家長として家族を養うという意味である。

さらに社会主義者も、ファシストも、この世の恐慌の時に債権者たちに詰め寄ってくることも、破船も、情欲も、あらゆる面でのおまえたちの不足も心配もせず、ただわたしイエスが、おまえたちの所とどまるように万全を期しなさい。罪を犯してわたしを追い出してはいけない。

ためらうな、たとえ困難が多くとも、ただ、わたしが、いつも、おまえたちとともにいることができるようにせよ。罪を犯してはいけないと、創立者は教える。

「ここから、照らそう」というのは、アルベリオーネ神父の解釈によれば、わたし(イエス)は、おまえたちの光だ。そして、わたしは世を照らすために、おまえたちを使おう。わたしは、この使命をゆだねるから、おまえたちは、それを果たしてほしい。

その時イエスを包んでいた光、先のことばを発音された時の声の力、および聖ひつをさしてじっと伸べられた手は、聖ひつにこもりましますイエスから、すべてを汲み取るようにとの招きなのだと創立者は解釈した。

聖ひつからパウロ家の人たちは、光を受けて歩むべき道を照らされ、その受けた照らしを他の人にも伝えなければならない。それで各人は、光の伝達者、イエスの拡声器、福音史家や聖パウロや聖ペトロたちの秘書であるとの自覚をもて、と創立者は勧める。以上のみことばは、現在どのパウロ家の聖堂にも掲げられてある。

さて聖パウロ修道会の会員にも司祭のほかに修道士のグループがいる。司祭は教区の司祭のようにミサをささげ、秘跡をさずけるほかに説教、刊行物の著述や編集などにてずさわるが、修道士は、どんな身分で、何をするのか。その疑問に答えるため、アルベリオーネ神父が、どんな考えで修道士のグループをつくったか。そのいきさつや修道士の身分や活動などを次に紹介しよう。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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