宣教者としての歩み 年間第15主日(マルコ6・7~13)

最近は登山の機会がめっきり減ってしまったのですが、学生の頃はよく山に登っていました。しかも南アルプスや北アルプス。

学生の頃は体力がある分、お金がなくてテントや食糧をかついで登ったものです。山小屋に泊まったりするとけっこう高くつくし…。その頃のザックは肩に食い込むようなもので、荷物そのものも20キロ近く。最近、山小屋に泊まる時はだいたい12~13キロ程度ですから、重さの違いは歴然としています。

山登りも回数を重ねるにつれ、いろいろと要領を覚えていきました。一つのものをいかにしていろいろなものに使うかと。例えば、新聞紙だと敷物にしたり、背中のクッションにしたり、汗をかいて冷えそうな時には上着とシャツの間に入れるとけっこう保温効果があり、風邪をひかなくてすむなど…。一つのものがいろいろな用途に変わっていきました。できるだけ荷物を軽くするための秘訣です。節約はまた、自分の鍛錬にもなるもの。

今日の福音の中で「旅には杖の一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物ははくように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じます」(マルコ6・8~9)。共観福音書で同じ箇所を読んでみると、マタイ福音書とルカ福音書では杖も履物もダメだと言っています。なぜこんなに違うのでしょうか。

ガリラヤの風土であれば、杖や履物がなくても歩いて宣教することは可能でした。しかし、パウロと宣教したマルコはギリシアやトルコなどを旅してまわります。そこは山を越え、谷をわたり、長旅の連続でした。そういう行程であれば、杖や履物は必需品なので、マルコ福音書の場合はそうしたものへの配慮からくるのでしょう。それでも共通することは、「ともかく贅沢をするな」。

私たちも洗礼によって宣教の務めがあります。いろいろな場で身軽な形で神様のみことばを宣べ伝えたいものです。

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