イエス様の思いに敏感になるという種 年間第14主日(マルコ6・1〜6)

以前、青年たちの集まりである神父様から、「あなたにとってイエス様はどのようなお方ですか」と質問されたことがあります。それぞれ「優しい方」「兄のような方」「厳しい方」「一緒にいてくださる方」「祈りを聞いてくださる方」などと思いおもいに自分が感じるイエス様を分かち合いました。ふと、私は人によって「イエス様像」というのは違いがあるのだなと思いました。

きょうのみことばは、イエス様が郷里であるナザレに弟子たちと一緒に帰られた時の場面です。ナザレは、ガリラヤから歩いて5時間くらいの場所です。弟子たちは、自分たちの先生であるイエス様がどのような所で育ったのか興味があったのではないでしょうか。彼らとイエス様は、道中いろいろな会話をしながらナザレに向かって歩いたことでしょう。イエス様と弟子たちは、ナザレでマリア様や他の身内の人と合って一緒に過ごしたのではないでしょか。

彼らがナザレに滞在中に安息日もあったようです。みことばは「そして安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた」とあります。イエス様は、ガリラヤで安息日に会堂で人々に教えられていた(マルコ1・21)ようにナザレでも郷里の人たちに教えたのでしょう。しかし、ナザレの人々のイエス様の教えに対して驚き「この人はどこからこういうことを授かったのだろう。このような力ある業さえ行う知恵を持っているとは。」と言います。彼らの驚きは、ガリラヤでイエス様が教えられた時の【驚き】とはかなり違う反応でした。ガリラヤの人々は、「人々はその教えに非常に驚いた。イエスが律法学者のようにではなく、権威ある者ように教えられたからである。」(マルコ1・22)とあります。ガリラヤの人々は、イエス様に対してこの方はただの人ではなく預言者かメシアかという思いがあったようです。その証拠に、「人々は、病人や悪霊に憑かれた者をみな、イエスのもとに連れて来た。」(マルコ1・32)とあります。

しかし、ナザレの人々は、同じイエス様の教えに対して驚きますが、その驚きの中には、憤慨や懐疑的な思いもあったようです。さらに人々は、「この人は大工ではないか。」と言います。このことは、イエス様に対して「大工であるヨセフの息子が何を偉そうなことを言っているのか。」という意味合いがあるのではないでしょうか。また、彼らは、「マリアの子」と言います。すでにこの頃は、ヨセフが他界してしまっているということでしょう。マリア様は、やもめとして人々から何かしらの助けを受けていたのかもしれません。人々は、イエス様に対してガリラヤで教えや奇跡を起こさなくてもいいから、大工として家業をつぎ、マリア様を助けなさい、という気持ちがあったのかもしれません。

さらに人々は、「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。そしてまた、姉妹たちは、わたしたちと一緒にここにいるではないか」と言います。パレスチナの家族は拡大家族でしたので、ここで言う「兄弟」「姉妹」と言うのは、厳密な意味での「兄弟」「姉妹」という意味ではないようです。人々にとってイエス様は、小さい頃から身内のように知っているただの【ヨセフの息子】にしか過ぎなかったのです。エゼキエル書の中に「主なる神は仰せになる。耳を傾けようと傾けまいと——彼らは反抗的な家なのだから——、彼らは自分たちの間に預言者がいることを知る。人の子よ、彼らを恐れるな。……——反抗的なのだから——、わたしの言葉を告げなさい。」(エゼキエル2・5〜7)と伝えています。残念ながらナザレの人々にとってイエス様は、預言者でももちろんメシアでもなかったのです。

私たちは、時々「イエス様は、そのようなことを考えたりしません。」「イエス様は『あなたが言うような事』をなさいません」「イエス様のお考えは、このようにすることです」と言うようにイエス様のお考えや行動を【自分の感覚、考え、都合】に合わせようとする傾きがあるのではないでしょうか。私たちは、知らず知らずのうちにイエス様を【自分中心】に理解してしまいがちです。ちょっと自分の心の中を振り返るのもいいかもしれません。

イエス様は、ナザレの人々の不信仰さを嘆かれ驚かれます。みことばは「そこではただ少数の病人に手を置いて治されただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。」とあります。ナザレの多くの人々はイエス様を理解しようとしませんでしたが、その中で何人かの人はイエス様に癒して頂こうと思ったのでしょう。ただ、いくらイエス様がナザレの人々のことを思い、何とか導きたいと思っていても彼らが受け入れないならば、イエス様は何もおできになれないのです。「出血病の女の信仰」や「ヤイロの信仰」とは大違いです。もしかしたら、私たちもイエス様が側におられ語られているのに、耳を傾けていな時もあるかもしれません。私たちは、イエス様の声に敏感になり、信仰をいただく恵みを祈れたらいいですね。

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