イエス様の家族という種 年間第10主日(マルコ3・20〜35)

今から10年ほど前のことでしょうか、私は、精神的に参ってしばらく自分の召命に悩んだ時期がりました。その時は、たくさんの方が祈ってくだり、助けてくださいました。その中の一人は、聖心会のシスターでした。シスターはカウンセラーをされていて、約半年間ほど通いました。その中で、シスターは私に「ブラザーは、○○しなければならないと思っていませんか? または、○○してはいけないと思ってはいませんか?」と言われました。私はその質問にハッとしまして、「私は、『ねばならない病』だったのだ」と思ったのです。それから、私を苦しめていた胸に詰まっていたものが消え楽になりました。

きょうのみことばは、イエス様が福音宣教される中、身内や律法学者から「気が変になった」と言われた場面です。みことばは、「イエスが家に戻られると、また群衆が集まってきたので、一同は食事をする暇さえなかった。」とあります。人々は、イエス様の評判を聞き、病気の人、心が疲れた人、何かを求めている人がイエス様の所に集まって来たのです。この家というのは、カファルナウムのペトロとアンデレの家のようです(マルコ1・29)。イエス様は、会堂で悪霊に憑かれた人を癒し、シモンの姑の病気を癒し、さらに、夕方になると病人や悪霊に憑かれた人たちをこの家で癒されています。みことばの中に「また群衆が集まってきたので」という【また】というのは、前回に引き続き今回も、という意味合いがあったのではないでしょうか。

イエス様と弟子たちは、食事をする暇もないほど忙しく人々を癒しておられました。このことは、イエス様の身内にまで広まって行きます。もしかしたら、カファルナウムの会堂に来ていたイエス様の身内の者がイエス様のことに気が付いたのかもしれません。当時は、子どもが親の仕事を継ぐというのが慣習としてあったのではないでしょうか。そのため彼らは、イエス様が「大工をしていた(マルコ6・3)」というのを知っていたので、イエス様が大工仕事をせずに病人や悪霊に憑かれた人を癒しているのを不審に思ったことでしょうし、これらの知恵や不思議な業を行うことにも驚いたのではないでしょか。パレスチナ地方の家族は、拡大家族で家族間の繋がりが強く家族内の一人の行いが家族全体に影響を及ぼすというとされていたようです。それで、身内の者は、「気が変になった」と言われているイエス様をナザレに連れ戻して「もうこのようなことはしないでほしい」という気持ちがあったのでしょう。

イエス様の評判は、ガリラヤだけではなくエルサレムにまで知れ渡ったようです。エルサレムから律法学者が来て「イエスはベルゼブルに取り憑かれている」とか「悪霊の頭によって悪霊を追い出している」と言います。このエルサレムからの律法学者たちは、カファルナウムの律法学者たちよりも権威がある者でした。そのため彼らの言葉は、人々に対して強い影響力があったのです。イエス様は、彼らを呼び寄せ自分への中傷に対して弁論するのではなく、諭すように「どうしてサタンがサタンを追い出すことができようか。……もし、サタンが自分自身に逆らうなら、サタンは仲間割れをし、立ち行くことはできず、かえって滅びてしまうであろう。」と喩えを持って説明します。イエス様は、ご自分がサタンではないということを伝えられます。

さらに「先に強い人を縛り上げなければ、誰もその強い人の家に入って家財を奪うことができない。」と言われます。この「強い人」というのは、サタンのことで「家財」とは、サタンによって苦しめられている人のことを言っておられるようです。イエス様は、サタンによって苦しめられている人、囚われている人を解放するために来たのだと伝えておられるのではないでしょうか。イエス様は、律法学者たちがご自分の行いを批判し、拒み続けている様子をご覧になり「聖霊に対して冒涜の言葉を口にする者は、永遠に赦しが得られず、永遠に罪の責めを負う」と言われます。このことは、イエス様の行いは、ご自分だけではなく【聖霊】の働きもあることを伝えておられるのです。

イエス様は、ご自分のことを心配してナザレから来た、マリア様と兄弟に「『わたしの母、わたしの兄弟とは誰か』そして、ご自分を囲んで輪をつくって座っている人たちに目を注ぎ、『見なさい、これがわたしの母、わたしの兄弟である。神のみ旨を行う者は誰であれ、わたしの兄弟、わたしの姉妹、わたしの母である』」と言われます。当時の習慣としてラビの教えを聞くときには、ラビを囲むように車座になっていたようです。イエス様は、ご自分のところに集まって来たことが【おん父のみ旨】を行うことになるということを伝えておられるのではないでしょうか(マタイ7・21)。イエス様は、当時の慣習にとらわれることなくおん父のみ旨を行われ、ご自分の所に集って来た人を血縁を超えた【家族】として大切にされます。これは、いまの教会共同体を表しているのではないでしょうか。私たちは、このイエス様の所に集った【家族】として【おん父のみ旨】に忠実に歩むことができたらいいですね。

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