39. 印刷工場の火事――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

一九一八年(大正七年)十二月二十四日クリスマスの前夜、パウロ会の人たちは、十時頃まで印刷工場にある活字棚や紙倉庫の整理とクリスマスにふさわしい飾りを愉快に、てきぱきやった。それから、マッチニ通りにある修道院に帰って夜の十時半に、アルベリオーネ神父は、勉強室で会員や志願者たちの告解を聴いた。

神父の助手(トルクァート・アルマニ神学生)は、主の御降誕により人類に与えられる善益について小さな説教をした。なお話題をパウロ会のことに変えて、神がパウロ会に委ねた善い出版物の偉大な使命も馬小屋の中に見出されると述べた。聖パウロの御絵の代わりに、美しい幼子を花で飾った。

真夜中に、アルベリオーネ神父は、パウロ会のみんなのために三回ミサをささげた。その間、みんな熱心に祈り、讃美歌を歌った。二回目のミサの時にみんなは聖体拝領をした。ミサのあと、楽しくポレンタ(とうもろこしの粉で作ったおじや)を食べて、八時半の起床まで寝に行った。

ところが夜中の三時に、アルベリオーネ神父の大声がした。
悲しい、胸をえぐるような、せっぱつまった声であった。

「志願者、監督、先生、ビリノ、ピアツァ」

印刷工場が火事だったのである。

以下、この事件に立ち会ったジャッカルド神学生の日記で、当時の情況を際限してみよう。

「受付係りの娘さんは火事に気づいて、マッチニ通りのほうへ向けて走り、叫んだ。ボラティの奥さんは飛び起きて、(修道院の)ベルを二回鳴らした。アルベリオーネ神父はズボン下の上に、ボタンのはずれたスータンだけをつけ、帽子をかぶり、靴を素足のままはいて、現場にすっ飛んだ。そのあとを若者たちが、ぞろぞろ追っかけた。

最初にアルベリオーネ神父は、火事に十字を切り、続いて、まわりで働いていた人たちに祝福を与えた。火は機械工用のストーブのまわりに燃えひろがっていた。そこには紙くず、活字台、たくさんの木材が置いてあった。ガゼッタ・ダバル誌の第三、四頁のカレンダー、テーブルの上に置いてあった。鉛の植字資材が溶けて、煙になっていた。

印刷工場の部屋は、すっかりこの黒い、濃い、部厚い、むんむんと暑い煙でもくもくとしていた。そこへ一歩でも踏み込む者は、焼けどし、窒息しそうであった。いろいろやってみる者がいたが、だめだった。神学の先生(アルベリオーネ神父)は、火元がどこであるか、どのくらい燃え拡がっているか気づかずに、事務所まで入りこんだが、気を失いかけたので、戻って来た。

もう一度ためしてみて、今度は一つの窓を開けることができた。ほっと一息して、植字部屋に入っていった。ブルース(作業衣)は、まだ着ていなかった。息苦しい煙の中を紙倉庫に入ろうとして植字台のところまで行った。

活字棚を倒し、ドアのガラスを割って、そのすき間と鍵穴から息を吸った。そのドアを開けようとしたが、鍵がかかっていて、なかなか開かなかった。まっ先に手元に触れた一冊の本を使ってみたが、(ドアを開けることが)できなかった。片方の靴をぬいで、やってみたが、これもだめだった。倒れた時にぶっつけた膝が大変痛んできた。

しかし、一つの小箱を使ってドアを開けることが゛てきた。息を吸って紙倉庫に入り、もう一枚の窓ガラスを割った。どうしても外に出なければならなくなって、中庭に出てきた。彼(アルベリオーネ神父)の人相は変わり、顔と目は腫れ上り、唇と口のまわりは吹き出した黒っぽいつばでぬれていた。受付の息子である中尉に押し出されて二度も助けられた。

その時、神父は煙に負かれて気を失いかけていたのである。受付係も一階は神父の首をつかんだ。神父は息苦しい様子だった。声はうわずっていたが、精紳は、しっかりしていた。

確かに、神父は病弱な生命を危険にさらしていた。彼を導き、救い出したのは聖パウロであった。弁護士のパリウッチ、受付係マネラさん、カトリック火災保険会社の人はこのような危険に身をさらす神父を非難した。

さて、若者たちは煙が出ている所を見ると、現場で見たものを手に取り、印刷工場のポンプと庭のポンプから水を汲んでかけた。暗かったのでたいして仕事の効果があがらず、電気もつけることはできなかった。電気をつければもっと悪いことが起こるかも知れないと思ったからである。

中尉さんは、身内の人の反対を押し切って水を運び、水をかけようとして中まで入って行った。でも紙倉庫の状態がまだわからなかったのである。まず神学の先生(アルベリオーネ神父)が、次に何人かの若者がそこに入って行き、窓ガラスを開けた。
まず敬愛する父(アルベリオーネ神父)は、何よりも聖パウロに信頼するようにと、私たちに勧めた。一人の青年が修道院へかけ戻った。仲間たちは立ち上がり、聖堂へ祈りに行った。紙倉庫の無事が、たしかめられるとほっとした。

聖パウロが守ってくれたのだ。延焼を防ぐことができた。そこから煙が出ていた。ランプのあかりをつけた。誰かが消防署員たちの所へかけつけて起こそうとしたがだめだった。それで消防署員は、そのまま眠らせておけと呼びに行った人に電話した。それでも消防署員が二人現場にやって来て、火を消しとめてくれた。

一人の青年が、ほかの人たちをほっとさせ、主に感謝させるために修道院に帰った。(現場に残った青年たちは)損害をしばらく見たり、その場でしばらく話してから、修道院へ戻った。神学の先生は、バルバレスコのうまいブドウ酒をコップに半分飲めと私たちに差し出した。二人の青年か交代で印刷工場を見張り、ほかの人は寝に行った。

神学の先生は夜中に起きていた火事の見張り人に目ざましにコーヒーを飲ませた。祈りのあとでカトリックの保険会社の人と手続きが取られ、事件について、損害について、たくさん話された。(みなは)万事うまく行かせた神、神学の先生のいのちを助けた神をたたえ、災いから善を引き出すことに努めた。

ところが神学の先生は、息切れのせいで、その上、煙を吸い込んだせいで、すなわち毒性の、内臓をおかす鉛や鈴やアンチモンの煙のゆえに、また膝の痛みゆえに、眠ることができず、朝は気分が悪くて、喉頭と食道とが痛んでいた。司教座聖堂での奉仕をあきらめねばならなかった。それで司教ミサは行われなかった。敬愛する父は一日中、寝ていて番までなにも食べなかった。」

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

おしらせ
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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