聖霊というプレゼントという種 聖霊降臨の主日 (ヨハネ15・26〜27、16・12〜15)

Facebookをしていると時々「今日は○○さんの誕生日をお祝いしましょう」というメッセージが届きます。そんな時には、その方のことを思ってメッセージを送ります。その方が近くにいる時には、プレゼントを準備することもあります。きょうの典礼は、「聖霊降臨の主日」で、「教会の誕生日」とも言われています。イエス様は、私たちに【聖霊】という素晴らしい誕生日プレゼントをくださったのではないでしょうか。

みことばは「わたしが父のもとからあなた方に弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来られるとき、この方がわたしについて証ししてくださる。」という言葉から始まっています。この【弁護者】というのは、きょう祝う【聖霊】なのです。弁護者は、自分のことではなく相手のために申し開きをして、その人のためになることを主張して助ける役目があります。まずは、【弁護者】は自分のことよりも相手のことを第一に考えます。イエス様は「その方は自分勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、起ころうとしていることを、あなた方に告げてくださる方である」と言われています。

イエス様は、私たちにその【弁護者】である【聖霊】がおん父のもとから遣わされると言われます。イエス様は、【聖霊】がご自分のことを証しすると同時に、私たち一人ひとりもご自分のことを証すると言われます。聖霊をいただいた私たちは、パウロが「もし福音を宣べ伝えないなら、わたしにとって災いです」(1コリント9・16)と言っているように、イエス様を【証し】せずにはいられないのではないでしょうか。もちろん、その時には、【私】を証しするのではなく、【イエス様】を証するということを忘れてはなりません。私たちが【聖霊】の働きに従ってイエス様を証しする時には、パウロが言っているように「霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、柔和、節制です。」(ガラテヤ5・22)という結果が生じてくるのではないでしょうか。

イエス様は、「わたしには、まだたくさんあなた方に言いたいことがあるが、今、あなた方はそれに耐えることができない。しかし、真理の霊であるその方がこられると、真理のあらゆる面であなた方を導いてくださる」と言われます。最後の晩餐の席でイエス様は、弟子たちにたくさんのことを語りたいと思っておられましたが、そのことを語るには時間もありませんし、まだ、弟子たち自身もそれを受け入れることができなかったのです。そんな弟子たちに対してイエス様は、【聖霊】を遣わされることを約束されたのです。このことは、今も続いていますし、私たちは【聖霊】から導かれ、【弁護者】として助けをいただいているのです。

私たちは、生活の中で「あれ、なぜこのようなことを思いついたのかな。」とか「えっ、今のできごとって私の力ではない」と思うような経験をすることがあるのではないでしょうか。聖霊の働きは、そのような時に起こっているのかもしれません。イエス様は、「その方は自分勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、起ころうとしていることを、あなた方に告げてくださるからである。」と言われます。ギリシャ語で聖霊のことを「プネウマ」と言われています。また、「プネウマ」は、「風」とか「空気」という意味でも使われます。普段私たちは、「空気」を意識しませんし、よほど強い「風」が吹かない限り「風」を意識することもありません。聖霊も同じように、私たちが聖霊の働きに気がつかないことがありますが、それでも聖霊は、私たちのために働いておられるのです。

時々、「虫の知らせ」という感覚を覚えることがあるのではないでしょうか。例えば、「今日はなんとなくこちらの道を通ろう」とか「今、電話をしたほうがいい」とかそのような感覚も聖霊の働きなのかもしれません。私たちがこの聖霊の働き、聖霊の【声】に従って行動するとき、聖霊は私たちを助けてくださいます。逆に、もし聖霊の【声】と反対のことを行う時は、【私】が中心となっていると言ってもいいでしょう。

イエス様は、「だから、その方がわたしのものを受け、あなた方に告げ知らせると、わたしは言ったのである」と約束してくださいます。私たちは、イエス様が弟子たちに「今、あなた方はそれに耐えることができない」と言われたように、まだまだ未熟で弱い部分もあり、時には間違いも犯してしまいます。ですから、聖霊の働きに敏感になることが大切なのではないでしょうか。司祭は、ミサの中で「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに」と唱えます。司祭は、イエス様に代わって三位一体の愛の恵みの祝福を私たちにくださっています。私たちは、この恵みを受け、【聖霊】というプレゼントを頂きながらイエス様を証しすることができたらいいですね。

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