息を吹きかける 復活節第2主日(ヨハネ20・19~31)

主の復活から一週間が経ちました。トマスの信仰告白の大事な所ですが、今日はその前に出てくる箇所、つまり「イエスが弟子たちに聖霊を与える」場面にスポットを当ててみたいと思います。イエスは弟子たちに「あなた方に平和があるように」と語ります。このイエスの言葉によって、何と平和な気持ちになったことでしょう。それからイエスは弟子たちに「息を吹きかけて」いきます。

この行為の中にはどんな意味が込められているでしょうか。人間の創造の場面を思い出します。「神である主は土の塵で人を形づくり、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きる者」(創2・7)となった。まず人間に神が息を吹きかけることによって、いのちが与えられていきます。「息」には「生き」るための原点とも言えるでしょう。逆にヨハネの福音書ではイエスが息を引き取る時、「頭を垂れ、霊をお渡しになった」(ヨハ19・30)と記されています。この表現の中には、イエスが聖霊をキリスト者に与えることの前触れと言われています。事実、「霊をお渡しになった」を直訳すると、「霊を送った」という意味で「霊や息を吹きかける」ことと共通しています。人生最後の「息吹き」は人間の始まりの「息を吹きかける」こととつながるのは興味深いことです。

9年前、私の母が亡くなった時のことです。母はクモ膜下出血の手術を受け、一命をとりとめ、その後約1年9か月間、生きることができました。臨終の場に立ち会いましたが、最期はとても穏やかでした。息が荒くなることもなく、とても静かに「すーと」息が切れていく感じでした。お医者さんから、「呼吸が止まり、ご臨終ですね」と言われた時は何とも言えない気持ちでした。かすかな息ではあるけれど、最期に「息を吹きかけた」感じにも思えました。

イエスが弟子たちに「息を吹きかける」行為を通して、聖霊の恵みや人間の誕生、息を引き取る時と重ねて読むと、みことばの味わいも違ってくるのではないでしょうか。

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