31. 寛大な貴婦人――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

第一次大戦中、アルバ大神学校の神学生たちも兵隊に召集されたので、たくさんの部屋があいていた。それで政府は、神学校の一部を兵舎として使うことにした。アルベリオーネ神父は、そのころ神学校に寝泊まりしていたので、兵隊たちといっしょに暮らすことになった。その中に、顔の青白い、スマートな、青年将校がいた。ある日、この将校は、アルベリオーネ神父に、こうおわびした。「薄汚い教養もない兵隊たちの間に寝かせるようなことにしてしまいまして、申し訳ありません」と。アルベリオーネ神父は、自分のことより、この将校の不便を案じ、自分の部屋とベッドをゆずって将校室とし、自分は食堂のソファの上や修道院の廊下に寝たのであった。

この将校の母親は、アマリア・カヴッツァ・ヴィタリという六○過ぎの伯爵未亡人であったるアルバの隣のバルバレスコ村の城に住んでいた。アルベリオーネ神父のことを息子から聞いてマットがないとわかると、早速上等のマットを寄付した。神父は、それをすぐ志願者にあげてしまった。二回にもらった時も同様にした。それで三回目には、カヴッツァ夫人が神父に念を押した。「このマットは寄付ではありませんよ。あなかが使うだけにしてください」と。アルベリオーネ神父は、仕方なく、その条件をのんで、これを使うことにした。

カヴッツァ夫人は、一九二二年神に召されるまでアルベリオーネ神父の母親、寛大な協力者となった。修道院に聖堂ができると聞くと、カリスを贈り、ガゼッタ・ダバル誌には処女や若妻向けの記事を寄稿した。そして毎週二回、アルバ市の聖パウロ会印刷工場に来て、校正の手伝いをしていた。その時、アルベリオーネ神父のためにと薬をはじめ、コーヒー、果物、野菜、タマゴ、肉、パンなど自分の手で料理したものを持ってきていた。この品のよいおばあさんは、アルベリオーネ神父をわが子のように思い、「胃が悪いから、栄養を十分とって、体に気をつけなさいよ。むりしてはいけません」と言い聞かせるのであった。神父は、「はい、はい」とおとなしく応え、いただいた食べ物は、あとで少年たちにまわしていた。

ちなみにカヴッツァ夫人は、自分の結婚式に使用した黒い礼服を死者ミサ用の祭服に作り変えて聖パウロ会に寄付した。当時、アルバの聖堂で香部屋係をしていたロレンソ・ベルテロ神学生は、昭和九年に宣教師として日本へ派遣される際に、記念としてこれを日本へ持ってきた。なお、この時、黄金色の祭服もたずさえてきたが、これは創立者がヴィア・マッチニ時代に使用していたものである。この二つの祭服は戦災を免れ、現在、東京・若葉修道院の香部屋に保存されてある。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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