イエスに対する軽蔑的な行動や言葉 受難の主日(マルコ15・1~39)

今日は「枝の主日」とも呼ばれ、ミサの入堂にあたっては、枝を手に持って行列します。イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入城される時、多くの人びとが「ホサンナ、主の名によって来られた方に祝福があるように」(マコ11・9)と叫んだように、その出来事を思い起こしながら、私たちも枝を振りかざして行列します。「いと高き所にホサンナ」(11・10)という群衆の叫びには、イエスを平和の王として、迎える気持ちがありました。

ところがイエスには十字架上での死が待っています。今日の福音(受難の朗読)はそのことを物語っています。イエスに対する軽蔑的な行動や言葉を探していくと、よく分かります。まずある暴動の時、祭司長たちは群衆をそそのかし、人殺しをして獄につながれていたバラバを釈放するように要求し、群衆はイエスを「十字架につけろ」(マコ15・13)と叫びます。またイエスは、総督官邸の中庭に連行され、深紅のマントを着せられ、茨の冠をかぶせられ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って侮辱されます。さらに葦の棒で頭をたたかれ、つばを吐きかけられます(15・19)。同時に「兵士たちはイエスをなぶりものにした」(マコ15・20)り、十字架につけられたイエスに対して「人々は、頭を振りながら、イエスを冒涜」(15・29)します。また「祭司長たちも律法学者たちと一緒になってイエスをあざけり」(15・31)、「イエスとともに十字架につけられていた者たちも、イエスをののしり」(15・32)ます。このように、軽蔑的な行動や言葉が数多く登場し、イエスがどんなにひどい仕打ちを受けたかが、よく分かるのではないでしょうか。肩に食い込む十字架の重さもさることながら、言葉による侮辱はどんなに重かったことでしょう。

受難の主日にあたり、私たちの人生にも、数多くの困難がありますが、イエス自身の十字架やイエスに降りかかった数多くの罵声、軽蔑的な言葉を思うと、私たちの重荷が軽く感じられます。

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