一粒の麦 四旬節第五主日(ヨハネ12・20~33)

今日の箇所は、イエスが死を目前にして語りかける言葉です。「もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、死ねば、豊かな実を結ぶ」(ヨハ12・24)と。

イエスの生きた模範がありますが、自分の人生の中で具体的な模範としてどんな人を挙げることができるでしょうか。個人的には聖パウロ修道会の司祭で、62歳で亡くなったT神父を思い出します。

彼は私が福岡修道院に中学生で入会した時、志願者の係をしていました。ローマでの留学を終え、最初の任務がこの係だったようです。その点でお互いに新鮮に感じた時。T神父は志願者と共に遊び、時には補習をし、時には感情を素直に表す。それでいて喜びを共感する司祭でした。

やがて私が有期誓願期になった時には担当司祭。志願期とはまた違った味わいで接してくれました。T神父が50代後半になり、病気との闘いが始まりました。

その病があるとはいえ、司祭としての務めを忠実に果たしていく。病院もいくつか転院しましたが、いちばんの居場所は修道院の共同体でした。

2003年4月27日、創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父がバチカンの聖ペトロ広場で列福されることになりました。病気を抱えていましたが、列福式にはどうしても参加したいと思い、一緒に行くことになりました。不思議なことに、イタリアでの滞在中、部屋は同室でした。

最初はみんなと行動を共にし、食事も一緒にすることができました。しかし、日が経つにつれて、日中の行程は一緒に歩いても夕方には疲れが出るせいか、ホテルに戻ったら、夕食もせず、休みたい感じでした。

こうした旅の疲れが残ったのか、それから一か月くらい経った頃、62歳の生涯を終えることになりました。自室での静かな生涯でした。

T神父の生前、近くの老人ホームへ慰問に行く機会もありました。手品をして、高齢者の方々を笑わせる。時には手品に失敗し、再度挑戦する。それがまた笑いを誘う。今でも陽気な笑顔が浮かんできます。

60歳代での死はとても悲しいものでしたが、イエスが語る「死ねば、豊かな実を結ぶ」という言葉に、T神父の思い出が浮かんできます。

あなたにオススメ