姿が変わる 四旬節第二主日(マルコ9・2~10)

今日の箇所は「主の変容」の場面で、「弟子たちの前でイエスの姿が変わる」ことを思い起こす所です。場所は山の上。ダボル山(588m)ともヘルモン山(2814m)とも言われますが、状況からして、私にはタボル山のように感じます。ヘルモン山だと登るのに、相当ヘトヘトになることでしょう。いずれにせよ、山には不思議な魅力があります。たとえ国が違ったとしても、山は神と出会う場、神秘的な体験の場です。

例えば、私自身の体験として、北アルプスの穂高岳や槍ケ岳、南アルプスの北岳、中央アルプスの空木岳の頂上に立った時、肌に感じられる風、香り、雰囲気、光など、下界では感じられない、何か神秘的なものがありました。神の偉大さ、雄大さが自然に感じられるものでした。ペトロ、ヤコブ、ヨハネも、イエスといっしょに山に登って、そうした不思議な体験をしたことでしょう。

「姿が変わる」とは、ギリシア語で「メタモルフォオー」が使われ、「形を変える」「形を越える」という意味が込められています。「姿が変わる」ことで、旧約聖書の中で思い起こすのはモーセです。モーセの顔が輝いたことについて、次のように記されています。「モーセが山から下ったとき、主と話し合ったために自分の顔の肌が光を放っていることを知らなかった」(出34・29)。モーセには分からなくても、顔が輝いていたことを語るものです。この場面には、神の威光が示されています。イエスの場合には、「姿が変わること」で、神性が不思議な力を及ぼしたことを示します。その点で、モーセとは異なります。

イエスは父である神の照らしを受けて、衣が真っ白に輝いていきます。今まで目にすることのなかった輝きです。同様に、私たちもイエスの照らしを受けて、輝いていくことでしょう。ミサや聖体訪問、個人の静かな祈りなど…。

私たちも静かな時を過ごして、神様の照らしを感じてみましょう。

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