身を引き締めて残された時を歩む 鈴木信一神父

2017年の暮れから2018年の年頭にかけて、私たちは大きな出来事を立て続けに体験しました。

12月28日には「全会員の集い」が開催されました。やむを得ない事情にある会員以外のすべての会員が若葉修道院に集い、第13回管区総会決議の進捗状況の報告、体験や意見の分かち合い、「使徒職計画」最終案の説明、グループでの意見交換と発表、そして、これからの使徒職の在り方についての大変重要な決断を、全員でおこないました。

皆で選んだ方向に向かって皆で一丸となって歩むという思いを持ちながら、私たちは新年を迎えました。

Br.牧山忠治さんは、2017年3月に膵臓癌の手術を受けましたが、術後の体力は思うようには回復せず、食は細くなり、体重は落ち、体力もどんどん落ちました。

牧山さんは努力しました。体力をつけるためには食べることが不可欠です。彼は努力しました。渾身の力をこめ、意志力を集中させて食べようとしましたが、なかなかにうまくいきません。

闘病生活を続ける中で、手術から9カ月後に新しい年が到来しました。年が明けた1月15日にはクリニックに行きました。翌16日には大学病院に行きました。そして19日には緊急入院を決意しました。20日・21日には、たくさんの方々がお見舞いに来てくださいましたが、ブラザーが最期の時を迎えていると感じるものは誰もいませんでした。

容態は22日に急変しました。この日、午前中のことでしたが、医師から尋ねられた牧山さんは、「わたしは延命措置を希望しません」とはっきりと答えられました。その後、病院から電話があり、翌23日の午後に、牧山さんの今後について、修道院の院長と医師の間で話し合いを行う事が決められました。

しかし、その午後を迎えることなく、牧山さんは23日の午前2時45分に御父のもとに帰天されました。晴天の霹屋とはこのことです。あまりに突然のブラザーの訃報に接して、絶句しないものはいませんでした。

Br.牧山さんは創設されたばかりの福岡の小笹修道院に1950年に入会しました。16歳でした。この時、これからの聖パウロ会を支え、作り上げる4人の修道士の卵が小笹修道院に勢ぞろいしました。Br.山野さん、Br.中村さん、Br.山内さん、そしてBr.牧山さんの四人の修道士です。

彼らの惜しみない生涯の奉献によって、パウロ会の土台は築かれました。彼らの惜しみない奉献なくして現在のパウロ会はあり得ません。

今、改めて故人の遺徳を偲び、身を引き締めて残された時を歩みたいと思います。

あなたにオススメ