助けてという種 年間第4主日(マルコ1・21〜28)

「魔が差す」という言葉があります。悪魔に取り憑かれたように、普段ならしないような言動で人を傷つけたり、取り返しのつかないようなことをしたりすることがあります。後で考えると、どうしてあのようなことを行ったのか分からないということがあるかもしれません。

きょうのみことばは、イエス様が会堂で「悪霊に憑かれた男」を癒す場面です。イエス様は弟子たちと共に、カファルナウムの会堂に向かいます。その日は、安息日だったため会堂にはたくさんの人がいたのでしょう。もしかしたらイエス様は、あえて人がいる日に会堂に入られたのかもしれません。会堂で成人している人は、聖書を朗読しそのことについて話しをしていたようです(ルカ4・16〜21)。人々は、イエス様の教えに非常に驚きます。それは、イエス様の教えが律法学者のようにではなく、権威ある者にように教えられていたからでした。

律法学者たちは、「律法」について研究したり、その解説をしたり、律法を書き写したりしながら自らその教えを行ったりしていました。しかし、イエス様は、神の子ですし神ご自身ですからご自分の言葉で話されていたのでしょう。ですから、律法学者たちよりも【権威】を持って教えることができたのです。人々は、イエス様が話されたことについてその違いを敏感に気づいたのでしょう。時々私たちは、生活から滲み出るような話をされ、心を打つ言葉が響いてくるような人に出会うことがあるのではないでしょうか。その方の人となりがそのまま言葉や行動に出てきて、人を感動させるからではないでしょうか。

イエス様が会堂で人々に教えているときに、汚れた霊に憑かれた人がその会堂に居合わせて、「ナザレのイエス、わたしをどうしようというのですか。あなたはわたしたちを滅ぼすために来られたのですか。わたしは、あなたがどなたであるかを知っています。神の聖なる方です。」と叫びます。イエス様は、宣教に入る前に40日間荒れ野でサタンによって試みられ、野獣とともにおられました(マルコ1・17)。それは、イエス様ご自身が悪魔の仕業の醜さ、人や社会に対する悪い影響の怖さを間近にご覧になられたことを表しているのかもしれません。イエス様は、汚れた霊によって苦しむ人に対して放っておくことができないお方なのです。

汚れた霊は、これから自分の身に起こることを察します。イエス様は、人々を救われ、おん父に向かわせるために来られた方ですが、汚れた霊は、人々を悪に陥れ、傷つけ苦しませ、自分に向けさせようとしていました(マタイ4・9)。福音書には、イエス様が汚れた霊に苦しむ人を癒される場面が数多くあります。イエス様は、人々を苦しめ、おん父から遠くへ向かわせようとする汚れた霊の仕業をお許しになられません。汚れた霊は、そのことを知っていたのです。それで、「ナザレのイエス、わたしをどうしようというのですか。あなたはわたしたちを滅ぼすために来られたのですか。」と言ったのでしょう。汚れた霊にとっては、イエス様の存在が邪魔だったのです。

さらに、「わたしは、あなたがどなたであるか知っています。神の聖なる方です。」と言います。私たちは、時々「悪魔の囁き」とか「悪魔の誘惑」という言葉を聞いたり使ったりします。私たちは、自分の弱さ、悪への傾きを知っています。そして、私たちが誘惑に負けているとき「分かっていますよ。今、私はあなたに背いています。けど、仕方がないのです。今は私の方を見ないでください。」と心の中で言い訳をしている自分がいるのではないでしょうか。私たちの心が怒りや悲しみ、悔しさや寂しさなどで充満している時、いけない事とは知りながら誘惑に負けてしまうことがあります。ときには、ゆっくりどうしようもない自分の心を振り返りイエス様に打ち明けることもいいかもしれません。

イエス様は、「黙れ、この人から出て行け」と言われます。イエス様のこの言葉は、汚れた霊に向かって言っていて、その人に対して言ったものではありません。ことわざに「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉がありますが、イエス様は、私たちを決して「責められ」されません。それは私たちの苦しさ、辛さ、やるせない心をご存知だからです。イエス様は、私たちのその様なすさみから解放され、いつくしみの愛を持って私たちを包まれるお方なのです。ですから「汚れた霊」に対して【厳しい言葉】で「この人から出ていけ」と言われたのです。

汚れた霊は、その人をけいれんさせ、大声をあげて出て行きます。これは、私たちが誘惑から抜け出る時の痛みなのかもしれません。私たちは、自分の楽しみに固執している時、それを手放すという時に苦しみを伴います。また同時に、その痛みは私たちが癒されている兆しなのかもしれません。イエス様は、私たちが「汚れた霊」によって苦しんでいるのを放って置く事を望んでおられません。愛そのものであるイエス様に信頼して素直な心で「助けて」と叫ぶことができたらいいですね。

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