おもてなしの心 待降節第二主日(マルコ1・1~8)

今年は東京オリンピック(1964年)が開催されてから53年になります。このオリンピックを境に、日本は高度成長期に入りました。その頃、東海道新幹線が東京と大阪間を走るようになり、首都高速が完成して物の流れがスムーズになり、戦後復興の目覚ましい時を過ごしました。53年が過ぎた今、2020年の東京オリンピックに向けて準備がスタートしています。このオリンピック誘致の際、いろいろなドラマがありました。オリンピック開催に向けて日本のよさをアピールするために、「おもてなし」の心が盛んに叫ばれました。他の国にない日本の素晴らしい側面が示された時です。

「おもてなし」は「持て成す」という言葉に由来し、「御馳走する」「歓待する」「取り扱う」「待遇する」と言った意味があります。お客さんにとっては、「おもてなし」があればあるほど、とても心地よい気分になるものです。例えば宿を取った時、部屋に一輪の花があると季節感を感じるし、暑い日に部屋に入った時、すでにクーラーがつけてあるととても気持ちがよいものです。いろいろな場面で「おもてなし」の心が息づいています。

洗礼者聖ヨハネもまた、イエスをおもてなしする人物のように感じます。決して表には出ないで、イエスを引き立たせようとするところに彼の大きな魅力があります。「わたしは身をかがめて、その方の履き物の紐を解く値打ちさえない」(マルコ1・7)と語ります。イエスがメインであって自分は一歩下がった感じです。決して自分が表に出ないで、相手を心地よく歓待する姿勢が、洗礼者ヨハネにはよく見えてきます。ここに「おもてなし」の原点があるようにも感じます

相手を心地よくする「おもてなし」の心を、洗礼者ヨハネから感じることができるではないでしょうか。

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