目を覚まして待つという種 待降節第1主日(マルコ13・33〜37)

私たちは、何か楽しいことや嬉しいことがあるとき、または、何かのイベントがあるときなど、何日も前から指折り数えたり、カレンダーに印をつけたりしてその日を待つことがあると思います。その間、心の準備や実際に企画に沿った手配など確認しながら当日に挑むことでしょう。そして、いかに準備をしたかということで「その日」がうまくいくかどうかが違ってくるのではないでしょうか。

典礼は「待降節」に入り「主のご降誕」を待つ季節になります。そのためか、きょうのみことばの中には「目を覚ましていなさい」という言葉が4回も繰り返されます。みことばは「気をつけて目を覚ましていなさい。その時がいつか、あなた方は知らないからである。」とイエス様が言われるところから始まっています。この箇所の中には、【目を覚ましていなさい】ということと、いつなのかわからない【その日】という2つの「ポイント」があるような気がいたします。

まず、【目を覚ましていなさい】というのは、どのようなことでしょう。私たちは、「不眠不休」では生きてはいけません。たとえ、1日や2日の徹夜などができたとしても、それ以上続くと意識が朦朧として正しい判断ができなくなることでしょう。もちろん、イエス様は肉体的な「眠り」という意味で言われていません。きょうのミサの『集会祈願』に「日々の生活の中で、あなたが望んでいることを見極め、主キリストに従って生きることができますように。」とあります。イエス様が言われる「目を覚ましていなさい」ということは、この「日々の生活の中で、あなたが(おん父)望んでいることを見極める」ということではないでしょうか。このことは、日常生活の中の忙しさの中で、おん父のみ旨を見極めることが問われているような気がいたします。時には、1日の終わりの中で振り返る時間を持つ習慣をつけることもいいかもしれません。

また、イザヤ書には、「あなたが助けに来られます。正義を行うことを喜びとし、あなたの道を歩み、あなたを思い起こす者のもとに。」(イザヤ64・4)とあります。このこともイエス様が言われている【目を覚ましていなさい】ということのヒントになるのではないでしょうか。みことばは、私たちが待降節の始めにイエス様の「ご誕生」を待つためにどのような心の準備をしていけばいいのかということを伝えているような気がいたします。毎年この時期は、メディアの中でも「クリスマス特集」やデパートや町の中でもイルミネーションなどで「クリスマス」の準備をしています。彼らは、商業的な意味や特別な「イベント」としてクリスマスを準備します。もちろん私たちは、彼らと違う気持ちで「クリスマス」の準備をします。教会の中では、司祭の祭服の色が「紫」に変わり、馬小屋を飾ります。私たちは、視覚を通して、毎年クリスマスの準備をするのですが、この繰り返しの中で「クリスマス」を意識することが【目を覚ましていなさい】と言えるのではないでしょうか。

イエス様は、この【目を覚ましていなさい】ということを「それはちょうど、家を後に遠方に旅立つ人が、僕たちにそれぞれ仕事の役割を当て責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、命じるようなものである」と喩えを通してお伝えになられます。私たちは、生まれた時から「それぞれの仕事」をいただいていいます。パウロは、「神も、あなた方を最後までしっかり支えて、『わたしたちの主イエス・キリストの日』に、咎められるところのない者にしてくださいます。」(1コリント1・8)と伝えています。私たちは、いただいている【仕事】をしながら「主のご誕生を【目を覚まして】」待ちますが、それは、私たちの力だけではなくおん父が助けてくださることをパウロが伝えているのではないでしょうか。

イエス様は、「だから、主人が不意に帰ってきたとき、あなた方が眠っているのを見つけられることがないように目を覚ましていなさい。」と言われます。このことは、もう一つの「ポイント」である【その時】のヒントになるような気がします。【その時】は、「主人が不意に帰ってくる」ようにいつなのかわからないのです。ユダヤ人たちは、メシアの再臨を何千年という間待ち望んでいました。イエス様は、彼らに【その時】がいつなのかわからないので「目を覚ましいなさい」と伝えます。私たちは、「期日」や「納期」があるからそこを「目標」として準備しながら頑張ることができます。しかし、納期も期日もないものをひたすら「準備」するというのは、困難ですし、忍耐が必要になってきます。

私たちは何回「主のご誕生」を準備しているでしょう。その「待降節」を「毎年の恒例行事」とするのではなく、いつ来るのか分からない【その日】を喜びを持って【待つこと】が大切なのではないでしょうか。私たちは、日々の生活の中で、これから迎える「主のご誕生」を心を躍らせ、指折り数えながら【目を覚まして】待つことができたらいいですね。

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