心を入れ換える 年間第26主日(マタイ21・28~32)

今日の第一朗読の中で、「彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない」(エゼ18・28)と記されています。この内容からして、今日のテーマは、回心、悔い改め、心を入れ換える…。

小学生の頃、学校から帰るとまず養鶏場に入り、卵をとり、それから祖母と弟ともに、卵を一個一個拭いて箱に入れるのが子供の仕事でした。それが終わるとほっとして、テレビのアニメ「ひょっこりひょうたん島」などを見るのが一つの楽しみでした。テレビに夢中になっていると、父親が「畑へ行って牛のえさを切って来い」と言われ、ちょうど面白い場面だけに「イヤダー」と。さらにテレビを見続けていると「なんばしよっとか…。早く行ってこい」と怒鳴られ、しぶしぶ畑へ行くこともありました。

だれでも気分が乗らない時に仕事を頼まれたりすると、嫌な気持ちになるものです。しかも無理に強制されたりすると最悪です。「嫌だ」と言いながらも、心では何となく後ろめた気持ちもあったりします。事実、私の両親が夏の暑いさなか、汗をかいて一生懸命働いている姿を目にすると、ゴロンと寝そべってテレビを見るのも何だか気が引けるようでした。そんな姿から心を入れ換える心境にもなったものです。

今日の福音で、最初「嫌だ」と言った兄は、徴税人や娼婦のような立場として挙げることができます。最初は福音を受け入れることを拒絶していましたが、後でイエスに出会い、回心していきます。弟は、祭司長や民の長老たちとして挙げることができます。最初、聖書のことばを受け入れながらも、自分ではそのことが実行できないでいる…。

どんなに反対し、拒絶したとしても、最終的に回心し、悔い改めて、心を入れ換えることの大切さを教えてくれます。

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