不思議な呼びかけ 日数谷一良修道士

私がパウロ会に入会したのは、23歳の時です。1959年11月3日のことで、福岡修道院に入りました。それまでは半農半漁で、家の手伝いをし、海が荒れたりした時は、農業をしていました。

当時、黒島からは立石幸雄神父さんがすでに入会していました。私が20歳の頃、福岡からチリオ神父さんが募集にやってきました。実は私ではなく小学生の弟のほうで、私は隣の部屋でゴロンと横になり、話を静かに聞いていました。弟は入会を断り、私の方はまだ入会などについては考えていませんでした。それから数年たち、結婚するのがいいのか、他の道がいいのか考え、母とも相談しました。

終生誓願(1972年)

いろいろ考えた末、福岡のパウロ会に連絡し、チリオ神父さんと佐世保で会うことにしました。しばらくたってから「11月3日に福岡修道院へ来てください」との入会許可の手紙をいただきましたが、その時、私は五島へ漁に行っていました。

私は入会するまで聖書を手にしたことがなかったし、教会でも聖書がそんなに普及していませんでした。「公教要理」と司祭の説教ですべてをまかなっていたのでしょうか。聖パウロのことだってよく知っていませんでした。そんな私が入会したのも不思議です。

福岡修道院に入って感じたことは、自分の家では朝、晩の祈りを唱えるくらいでしたが、修道院では祈りが多く、仕事の合間にも射祷を唱えたりする。すごいなあと思いましたね。パウロ山野忠次郎修道士さんのもとで働き、福岡修道院で3年間過ごしました。庭の草刈り、植木の仕事など…。マスコミ関連の仕事などはしませんでした。山野修道士さんから「東京へ行ったら、マスコミの仕事があるし、行けるからがんばってください」と励まされました。

赤波江神父(右)とともに終生誓願

やがて東京へ異動し、修練に入る前に創立者が来日し、ちょうどよい機会だからということで、東京の赤坂修道院で着衣を受けました。その後、二年間の修練に入り、ヴァラルド神父様が修練長でした。この修練期が一番楽しい時期でしたね。信心にも全力投球できるし、何でも一緒で、共同生活の楽しさや素晴らしさを満喫しました。修練仲間とは年齢差がずいぶんありましたが、みんな仲良く、気が合っていました。

初誓願の時はとても感激しました。多くの人の祈り、犠牲、協力、支えをすごく感じました。けっして自分の力ではないということも…。

終生誓願を立てる前に、スータンを新調してくれましたが、そのサイズを計る前にちょっとした迷いもありました。でもあとで考えなおしてスータンを作り、終生誓願も立てました。それが自分にとってはとても刺激になりましたね。

これまでの使徒職は、赤坂修道院ではイタリア製の活版印刷機で、八王子修学院に移転してからはオフセットの印刷機、紙倉庫の係、製版などをして、今は小さな印刷機で印刷の使徒職をしています。

パウロは宣教に際して、いろいろな苦しみに出会ったり、困難を体験していく。でもそれらを乗り越えるために、神様に信頼していきました。私にとってとても模範になります。パウロの強い精神に倣いながら、今後も歩んでいこうと思います。(談)

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