失われた羊 年間第20主日(マタイ15・21~28)

今日のみことばの中に「わたしはイスラエルの失われた羊のためにしか遣わされていない」(マタ15・24)とイエスは語ります。社会から見捨てられたり、忘れられたりすることを、私たちも体験しないでしょうか。

3年前の6月中旬、三日間にわたって東北の被災地を「家庭の友」誌の取材のため、一人のブラザーと一緒に訪問しました。今回は福島県の南相馬市、仙台市、東松島、南三陸を通って、陸前高田まで足を運びました。

2011年3月11日の東日本大震災から3年が経過していましたが、南相馬市では原発の問題はとても深刻だなあと感じました。公的な場所に放射能を測定する機器が設置され、その情報が示されていますが、実際にはその値が低かったりします。また南相馬市の南にある浪江町に入ると福島第一原発から近いこともあり、土壌の除染作業が行われていました。マスクをかぶった人たちがその作業にあたり、何とも異様な光景でした。最大6キロメートルに地点まで行くことができましたが、とてもものものしい雰囲気。今でも福島第一原発の近くに行けないというのは、それだけ放射能が強いからです。問題は、その地域でこれまで平和に暮らしていたにもかかわらず、津波と放射能によって家に戻れなくなってしまったのはとてもかわいそうだなあと思いました。そうした方々が仮設住宅に住んでいますが、2014年6月現在でも18万人近くだと言います。こうした被災者たちがたくさんいるにもかかわらず、原発を再稼働するように経済界の方々が政府に求める気持ちがよく分かりません。福島の状況を自分の目で見て、仮設住宅で暮らしている方々のことを思うと、彼らのことがだんだん忘れられていくのかなあと思ったりします。

利益だけを追求する時代から、人のいのちを真剣に見つめる時代に来ているのではないでしょうか。原発事故によって失われたものをどのように取り戻すか、福島へ行ってみるとよく分かってきます。

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