4. 神は弱い者を選ぶ――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

ヤコブは、青少年時代も、身体が細く、栄養失調気味の蒲柳の質であった。母は、この子のために食べ物について特別に気を遣った。神学校の生活は全寮制であるから、食べ物について好ききらいは言っておられない。ヤコブにとっても、きらいな食べ物、デリケートな胃に合わない食べ物が時々出されることがあった。アルベリオーネ神父は後年こう述べている。「私は子供のころ、全然エジプト豆が食べられず、残していた。しかし、一週間続いて、そのエジプト豆が出たので、背に腹はかえられず、とうとうエジプト豆を食べ出し、今ではこれを食べなれている」と。

ヤコブのきらいだったもう一つの食べ物は、カブであった。母親は、これを好きにさせるため、上手に料理して、しばしば食べさせていた。

幼いヤコブは、母に連れられてケラスコの教会へ行く途中も疲れて、のびてしまうほど弱かった。それで母は、わずかなパンとバターを、着付け薬のように食べさせて元気づけていた。この小さいヤコブと母親は、聖堂へはいっても、なるべく出口に近い、うしろの席にすわった。それはヤコブが時々ぐあいが悪くなるので、聖堂の外へ連れ出さねばならなかったからである。

学校友達は、ヤコブがやせこけていたので、「マッチ棒」というあだ名をつけていた。かかりつけの医者も、ヤコブは身体虚弱児で、短命型の体質であると言っていた。しかし、医学もまだ発達していなかった時代でもあるし、さらに家も貧しいので、病弱といっても、これといった治療をするわけでもないし、疲れがひぐくなった時に、やむをえずベッドの上に休むのがせきの山であった。

ブラの神学校時代に、ヤコブの両親は、ヤコブのために最低限の食費しか支払えなかった。すなわちパンとスープ代だけだったので、ブドウ酒もパンにつけるジャムも出してもらえなかった。パンのおかずは、実家から届けてもらうものだけで間に合わせていた。すでに司祭になってからも、ブドウ酒の水を飲む事もあった……。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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