「食べる」 キリストの聖体(ヨハネ6・51~58)

「食べる」という言葉を、ギリシア語で主に3つ見いだすことができます。よく使われるのが「エスティエイン」です。これは「食べる」「食う」「「食い尽くす」の意味があり、目的語には「パン」がよく使用され、「飲む」とよく一緒に使われたりもします。第二に「ファゲイン」。これは「大食い」「大食漢」「食をむさぼる」の意味があり、大酒飲みなど(マタ11・9、ルカ7・34)と一緒に登場したりします。第三は「トロゲイン」。これは「噛み砕く」「食べる」の意味があります。「食べる」とはいえ、微妙に表現が違っています。

さて今日の福音ではどの表現が使われているのでしょうか。「このパンを食べる(ファゲイン)ならば」(ヨハ6・51)、「人の子の肉を食べ(ファゲイン)」(6・53)、「わたしの肉を食べ(トロゲイン)」(6・54)、「わたしの肉を食べ(トロゲイン)、わたしの血を飲む者」(6・56)と、「食べる」という用語だけで、何回でも登場します。しかも一般的な「エスティエイン」ではなく、「ファゲイン」「トロゲイン」ですから、動物のようにガツガツ食べたり、みっともない食べ方の表現が使われていますので、礼儀正しいユダヤ人たちにしてみれば、激しく議論をしたくなるのも分かるような気がします。またイエスは「その血を飲まなければ」と言いますが、「血を飲むこと」はユダヤ教では厳しく禁じられ(レビ17・10~14)ていました。しかし、イエスはそうすることで永遠のいのちを持つことを主張していきます。この発言によっても、彼らはさらに怒り心頭に達したことでしょう。

また「互いに激しく議論する」はギリシア語で「マコマイ」が使われ、「戦う」「つかみ合う」といった意味もあり、かなり激しいつかみ合いのけんかを想像してしまいます。イエスが語った「食べる」ことが、議論の発端ともなっています。

キリストの聖体の祭日にあたり、キリストの体をどのような形で私たちがいただくかのヒントを見いだすことができます。

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