いつも共にいる 主の昇天(マタ28・16~20)

主の昇天の具体的な状況については、今日の第一朗読の中(使徒1・6~11)に出てきます。福音の箇所では、主の昇天そのものというよりも、弟子たちの派遣について語られています。弟子たちが自立して、全世界に教えを広め、宣教活動にいそしむことができるように、イエスは使徒たちに使命を与えていきます。これまではイエスからいろいろと指導してもらい、安心して行動することができましたが、これからは弟子たちだけで行動していくだけに、一抹の不安も感じたことでしょう。

しかも、イエスの命令はとても厳しいものです。すなわち「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタ28・19)と。弟子たちの能力からすると、ほんとうに「すべての民を弟子にする」ほどの力があるのだろうかと疑いたくなります。さらに「洗礼を授け、命じたことをすべて教えるように」(マタ28・20)とイエスは命じています。彼らは不安も増したことでしょうが、そんな彼らの思いを払拭するかのように、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ28・20)とイエスは語ります。弟子たちだけではなく、イエスがこれからもずっと共にいてくださることを彼らに保証します。「いつもあなたがたと共にいる」は、マタイ福音書の中では何回か登場します。一番最初は、イエス・キリストの誕生の場面(マタ1・22~23)で、第二番目は、兄弟への忠告の際に、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタ18・20)と語ります。すでに他の場面で、主が共にいてくださるのが分かります。

主の昇天はイエスと弟子たちとの別れですが、それはまた弟子たちが責任をもって宣教活動にいそしむ時でもあります。私たち一人ひとりも宣教者として自立すると共に、その際には「主が共にいてくださる」ことを、確信する時です。

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