コミュニケーション 復活第6主日(ヨハネ14・15~21)

最近はインターネット、ケータイなど、コミュニケーションの手段がとても発達しました。多数の人とのコミュニケーションは容易に取りやすいのですが、一対一のコミュニケーションはほんとうに深まったのでしょうか。自死者の数が3万人を切ったとはいえ、それに近い数値です。交通事故での死者は6000人を割る時代になりましたが、自死者の数は他の国に比べると多いかもしれません。なぜこうした現象が起こるのでしょうか。その一因には深いコミュニケーションの不足にもよるものです。とても皮肉なことかもしれませんが、コミュニケーションの手段が発達すればするほど、人と人とのコミュニケーションが希薄になりがちです。

かれこれ12年くらい前のことですが、コロンバン会のエドワード・デイキン神父様が亡くなりました。とても多くの信徒や信徒でない方にもとても慕われた司祭でした。オーストラリアのビクトリア州のシーモーに生まれ、来日して45年になっていました。日本語が特別に上手とは言えませんでしたが、人柄がとてもすばらしい司祭でした。デイキン神父様が生涯を通じて大事にしていたのは人と人とのコミュニケーションです。まず教会に派遣されたら、近隣の方々に挨拶する。特に教会に隣接している方々にはまず挨拶に行きました。それが信徒であろうが、なかろうがこだわることなく挨拶。人とのお付き合いをとても大事にした司祭でした。寂しくしている人がいれば、励ましていく。また悩んでいる人がいれば、その家を訪ねていく。人とのお付き合いを惜しまない司祭でした。イエスが今日のみことばで語る「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」という言葉を、身をもって実践した司祭だったなあと思います。

ともすれば、私たちは面倒くさいお付き合いは避けたいものです。そんな状況での牧者として関わっていくところにデイキン神父さんの素晴らしさがありました。イエスは私たち一人ひとりがみなしごになるようなことを望んでいません。そんなイエスの愛情やぬくもりが感じられます。

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