十字架への道 復活第5主日(ヨハネ14・1~12)

イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と語ります。ひとことで「みち」と言っても未知数です。道、路、途、倫、軌、塗…など、数多く挙げることができます。これらの中でも「道(人間が踏んでいくみち)」「路(足で踏む)」「途(歩行する道)」は一番ポピュラーでしょうか…。人生での深い意味を持つのは何と言っても「道」です。日本では茶道、華道、柔道、剣道というように、精神性を重視した「道」がたいせつなものです。単に強いだけではなく、その道を究めるような姿勢です。人生の歩み、精神的な姿勢を問うものです。

イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」ということばを受難、すなわち十字架につけられる前に遺言のような形で弟子たちに語っていきます。死を覚悟した思いがこの中には含まれているのではないでしょうか。イエスにとって十字架への道は孤独、軽蔑、苦痛が伴うものです。十字架刑は重罪人への処刑、軽蔑の対象でしたが、イエスはあえて担っていきます。パウロの言葉が印象的です。「十字架の言葉は滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(一コリ1・18)。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」(一コリ1・28)。

イエスは孤独を体験していきます。事実、多くの弟子たちが怖さのあまり、イエスのもとから離れ、おびえきっていました。孤独との戦いは十字架に見えてくる姿です。そんな十字架にあって、パウロは次のように語ります。「あなたがたを耐えられないような試練にあわせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(一コリ10・13)。苦しみだけでなく復活への道もイエスは私たちに保証してくれます。

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