14. 日出ずる国――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち

日本は極東の偉大な国であり、北太平洋における最後の群島である。ロシアと中国の対岸に位置し、日本海が両国と日本を分けている。日本は大小四百の島々から成り、その中で大きなものが前述の四つの島である。総面積はおよそ三十七万三千五百三十六平方キロメートルで、わが祖国イタリアよりは少し広く、人口は一億二千万人に達する。教育が広く普及し、多くの日本人が相当の教養を身に付けている。行政区分上、五十六の県に分かれ(当時)、そのほかに北海道の一道、京都と大阪の二府、そして東京都がある。東京の人口は一千百万人で、世界で最も人口の多い都市の一つに数えられている。その北には大宮、南には川崎、横浜など人口の多い都市があって、東京と並んで大都市圏を構成している。

国土の総面積の四分の三が山林である日本は火山が多く、そのうち約四十の山が活火山である。日本を代表する第一の山といえば、円錐形をした特徴のある山で、古くから日本人の自然崇拝的な感性によって神聖な霊山とされてきた「富士山」である。標高は約三千八百メートルで、その頂きは天にそびえ立ち、東西南北、東京までもその眼下に見下ろしている。海からでも陸からでも、日本の首都に近づくにつれて、この聖なる山は旅行者たちの目を奪い、それを見る多くの人が創造主の祝福と幸せを願って祈りをささげるのである。河川の数は多く、大概その川幅は広い。主要な島の海岸はリアス式の海岸で、入り江が多く、港が多い。気候は大陸と異なり、四季の区別が明確である。最も有力な宗教は厳しい戒律が特徴の仏教で、国民の人格形成に大きく貢献してきた。千年以上にわたって仏教は、慎み深く真面目で、礼儀正しく、まさに宗教的な感性を備えた日本国民の規範となってきた。政体は立憲君主制であり、国民によって民主的に選挙された議会がある。天皇は「国の象徴」であり、国民の一致の象徴である。

耕作地はほとんど全てが基本的に農作物で、彼らの主食である米の栽培に当てられている。しょう油は国民に広く普及している植物性の調味料で、お茶は国民的飲み物、砂糖きび、絹糸をとる蚕の食べ物となる桑の葉、さまざまな種類の木材、特に竹が住宅の家具の材料としてよく使用されている。主要な産業は農業、漁業、繊維業(絹)のほか、非常に発達した金属加工、機械産業などである。これらの産業の製品は世界の市場に広く行き渡っていて、その高い品質は、ヨーロッパの製品にたびたび勝利を収めている。日本のテクノロジーは世界屈指である。

日本人の精神性、その性格的な特徴をわずか数行でまとめるのは容易ではない。しかし、誰もが知っている言葉で「日出ずる国」の国民性を定義しようとすれば、それは他の資質を凌駕して、内省的、瞑想的、勤勉、緻密、行動的、そして精力的であると言えるだろう。これらの特性が日本を、アメリカ合衆国とソビエト連邦に次ぐ世界第三の強国にしたのである。

日本の歴史的起源はたいそう古い。伝承されている神話によると紀元前七〇〇年頃、神武天皇が蒙古を出て、満州を越え、日本列島に上陸したとされている。こうした場合の常であるが、神話とは、歴史的に証明された資料の不足を幻想的な要素で補うものであり、この神武天皇を、太陽の女神にして最高神である天照大神の子として伝えている。

ヨーロッパ人で最初に日本を紹介したのは、冒険家のマルコ・ポーロである。彼は東洋から戻った一三〇〇年頃に、ピサのルスティケッロに口述させた有名な著書『イル・ミリオーネ』(『東方見聞録』)の中において、初めて世界に日本を伝えた(この中で彼は日本を「ジパング」と呼んだ)。

他の国々と同様、日本にも独自の時代区分がある。大まかに言うと、古代、中世、近代、そして現代である。上述したようにキリスト教は一五四九年に聖フランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられた。

平和な時には温和で柔和な日本人だが、戦時にはそれが文字どおり劇的に変化する。日本人の勇敢さ、規律正しさがしばしばファナティック(狂信的)であることは、日本と戦ったことのある全ての国の人によく知られている。日本はその歴史において、全ての戦争に勝利を収めてきた。唯一の敗北が第二次世界大戦であり、日本は国の存亡の窮地に追い込まれ、アメリカ軍によって広島と長崎に投下された原子爆弾が最終的に日本を降伏させた。この「敗戦」という歴史の悲しい一ページを、日本人は容易に忘れないであろう。それは、この国の人がよく言っているように、神々の特別な恩寵によって聖なる国たりえた「神国・日本」という根本的な信念が、ある意味完全に覆されたことのしるしだったからである。

日本語について少し述べよう。日本語は表意的象形文字(漢字)と、インドヨーロッパ言語であるアルファベットのような表音文字との組み合わせである。たとえば「家」という概念を表すために、屋根を描く。こうして日本の子どもたちは過度に知的な努力をすることなしに、言葉を受け入れることができる。実際に子どもたちはこのようにして、普段目にする日常的な事物を速やかに書き表すことを学び、発音(うち=家)を学び、それに合致した文字を書くのである。

話を神戸に戻そう。神戸は日本の中南部における海運業の中心地であり、重要な金属産業の会社を多数有する日本の主要な港である。東京に次いで最も現代的で、繁栄している大阪湾に位置し、日本の「ヴェニス」とさえ呼ばれている。

神戸市は人口百三十七万人の、たいそう魅力的で心魅かれる町であった。それは私たちが冷静に、かつ注意して観察することができた最初の日本の町であったからである。

私たちが長い船旅の間に訪れた国の多くの町は、確かに興味深くはあったが、それらは極東に比肩するものではなかった。だから神戸に上陸した時に、私たちが受けた感動はとても深いものであった。それは私たちの「第二の祖国」となる土地だったからだ。通りには、さまざまな商品を宣伝する多彩で色鮮やかな看板やポスターが飾られていた。広場や大通りは緑が豊かで、行きかう人々には親切で礼儀正しい雰囲気があった。彼らは道で知人や友人に出会うと、互いに頭を下げて挨拶し、当然ながら私には分からない相手への敬意を示す動作や言葉を交わし合っていた。

この神戸で私たちは、フランス客船で親しくしていたパリ外国宣教会の宣教師たちと別れを告げ、巨大なクレーンが私たちの荷物を船から降ろすのを待ってしばらく埠頭にいた。そして、「本当に私たちはわが家に着いたのだ!」という感慨に浸っていた。

それから私たちはすぐにカトリックの教会を探しに行き、間もなく見つけることができた。美しい教会の鐘楼を目印にして、探し当てたのである。その教会はフランス人の宣教師が管理していて、私たちが東京まで荷物を送るための必要書類に記入するのを助けてくれた。

さてその宣教師は、司祭館に私たちを迎えて温かくもてなしてくれ、初めての日本で戸惑わないよう、基本的な事柄を時間をかけて教えてくれた。彼は言った。日本人は言葉や環境に慣れていない外国人であっても、彼らがいつも楽しそうにしているのを見るのが好きである。困っていると誰かがすぐに手を貸してくれ、その外国人がいちばん必要としていることを、身ぶり手ぶりで伝えようとする。そして自分がその外国人の問題解決に一役買うことができたとき、彼らはとても好意に満ちたほほ笑みで大きな満足感を表してくれるのだと。こうした情報がマルチェリーノ神父をとても感激させたのを私は覚えている。マルチェリーノ神父は、「この国は本当に世界でも独特な、すばらしい国だ。私たち粗野なヨーロッパ人は彼らを大いに見習う必要がある」と言っていた。

そしてその日の夕方、私たちは東京行きの急行列車に乗り込んだ。周りの人はみんな、ほほ笑みを浮かべていて、とても親切そうに見えた。

ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』(2020年)より

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