34. 私は下働き――福者ジャッカルド神父の生涯

ティモテオ神父の同郷の友人、ボ・コスタンツォ(Bo Costanzo )が花嫁ゴネッラ・アンジェラ(Gonella Angela)を連れて、ローマにやって来た。それは、1933年の特別聖年の免償を受けるために、新婚旅行をローマ巡礼に決めたためである。彼らは巡礼聖堂の一つである聖パウロ大聖堂を出てから、ティモテオ神父を訪ねた。工事現場に近づくと、職人たちに混じって働いているティモテオ神父の姿が、遠くからでも若夫婦の目にとまった。ワイシャツに袖カバーをして、顔にも頭にも白い粉がついていた。左官たちのところへ石灰を運んでいるところだった。若夫婦がそこに近づいていくと、ティモテオ神父は思いがけないお客に気づき、急いで汗を拭き、手を洗って彼らを迎えた。

「よくいらっしゃいました。ご覧のとおり、、私は下働きをしています。」と、ティモテオ神父は若夫婦を歓迎した。

「私たちは、聖年の免償を受けるために、ローマに新婚旅行に来ました」

「それはよかったですね。熱心な信者はみんな、できれば免償を受けにローマにやって来ます。ところでどうでしたか?」

「聖ペトロの像の足に接吻してきました。次に聖パウロ大聖堂に言ってきましたが、あのすばらしい大聖堂には感嘆しました。それから聖ヨハネ大聖堂に行きまして、すばらしい晩餐小聖堂とスカラ・サンタ(聖階段)聖堂とを見てきました。最後にサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂で、『ローマ市民の助け手』である聖母の美しいイコンを崇敬いたしました」

「古代ローマの殉教地、コロッセオを訪ねましたか?」

「はい。それから、トゥレヴィ(Trevi )の噴水の中にも小銭を投げ込んできました」

「カタコンベ(地下墓所)へは言ってきましたか? ここから近いので、私はしょっちゅう行っています」

「もちろん行ってきました。サン・カリストとサン・ドミティラのカタコンベを訪ねました」

「トゥレ・フォンターネも訪問しましたか?」

「まだです」

「ぜひ、行っていらっしゃい! あそこには聖パウロの殉教の遺跡がありますよ。私のとってはローマの中の至聖所です。できれば私が案内してもよいのですが……」

「いいえ、ティモテオ神父、お忙しいようですし、それに神父様はここに責任者ですから……」

「ここでは下働きです。この修道院建築の手助けをしています。これは聖パウロ会のローマ志願院になる予定です。よい志願者がたくさんいますよ!」

「私たちも、ここで仕事に熱中している人たちを見て、うれしく思っています」

「私もなんとかやっていますが、仕事を推し進めるのは私ではなくて、上におられるあのお方のお恵みなのです」と言って、人差し指を天に向かって立てるのであった。

「ここでは全員が働いています。貧しい者ですから、神様の力添えで生活しています。神様は私たちの必要なものを欠かしたことはありません。ところで、あなた方に何か差し上げたいのですが、とにかく突然のことなので、よい物は何も持ち合わせていません。でも、ありがたいご訪問の思い出として、私の書いたものを差し上げましょう」

こう言ってから、ティモテオ神父は小さなドアから入っていき、姿を消した。その間、若夫婦はまだ田園風景の、人の手に入らない美しい丘を眺めていた。しかし、この丘も、ティモテオ神父が話したように、いずれ近いうちに聖パウロ会の建物が立ち並んで、聖パウロ会の本部になるだろう。

ティモテオ神父は、一冊の本を手にして出てきた。印刷したばかりの本であった。これにサインして若夫婦に差し出した。

「私の書いたものですが、お土産に持っていってください。『ラ・レジナ・デリ・アポストリ(La Reglina degli Apostloli=使徒の女王)』という本です。お読みになって何かのお役に立てば幸いです」

・池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年

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現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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