信仰を強めてくださいという種 年間第19主日(マタイ14・22〜33)

私たちの修道会では、一日の使徒職が終わった夕方に共同で1時間の聖体訪問を行います。また、年に1度5日間の黙想の期間を取るようにしています。それは、1日を振り返り、私と神様の時間を持つためであり、1年の振り返り新たな目標を立てるためにあります。

きょうのみことばは、群衆に5つのパンと2匹の魚で満腹させた後の出来事で、イエス様が湖の上を歩かれる場面です。イエス様は、まず弟子たちを強いて舟に乗せ向こう岸に出発させます。なぜ、イエス様は、弟子たちを【強いて】遠ざけられたのでしょうか。それは、イエス様が1人でおん父に祈るためでもありますし、弟子たちに信仰の大切さを教えるためなのではないでしょうか。さらに、イエス様は、弟子たちだけではなく群衆に対しても解散を命じます。群衆は、イエス様の奇跡や教えを聞き、イエス様こそが、ローマの圧政から救ってくれる指導者、メシアだと思って王にしようと思っていたようです。イエス様は、そんな群衆の考えに気づかれ解散させたのでしょう。

イエス様は、弟子たちと群衆を帰らせた後、祈るために1人で山に登られます。聖書の中で【山】は神聖な場所とされていましたから、イエス様は、おん父との特別な場所と時間を作られたのでした。イエス様は、おん父と祈るために弟子であっても祈るために妨げになるものを遠ざけられます。私たちも祈る時には、私と三位一体の神様との関係を大切にし、それ以外のものは遠ざけるのでないでしょうか。イエス様は、ようやく【祈りの時間】を持つことができます。みことばの中でイエス様が【祈り】の時間を持たれる時には、決まってその後に大切なことを教えられます。イエス様は、夕方になっても祈りを続けられていましたので、かなり長い祈りの時間を持たれ、とても大切なことを教えようとされたのではないでしょうか。

さて、弟子たちを乗せた舟は、向かい風を受けて波に悩まされていました。弟子たちの中には、漁師をしていた人たちが少なくとも4人はいたのですから舟を操るということにはなれっていたのでしょうが、それでも悩まされていたということですから、かなり強い風と波だったのでしょう。当時の人にとって【湖】は悪魔が住んでいる所とされていました。また、みことばの中で【舟】は教会を表していましたので、これらの【波風】は教会に対する攻撃ということも考えられます。マタイ福音書が書かれた時の【教会】は、まだまだ弱く周りのユダヤ人たちから攻撃を受けていたのではないでしょうか。

イエス様は、おん父との祈りの時間を終え、湖の上を歩かれて弟子たちが乗っている舟へと向かわれます。イエス様は悪魔が支配する湖、それに伴う【波風】に対して毅然として抑えられることを表しているのではないでしょうか。弟子たちは、イエス様が湖の上を歩かれている姿を見て、恐ろしさのあまり「幽霊だ」と叫びます。もちろん、湖の上を歩くことができること自体不可能ですから、弟子たちがイエス様を見て怯え「幽霊だ」と叫んだのも理解できます。イエス様は、怯えている弟子たちに、すぐに「安心しなさい。わたしである。恐れることはない。」と声をかけられます。この「わたしである」という言葉の中には、モーセが主である神に名前を尋ねた時に「わたしは『ある』ものである」(出エジプト3・14)とおん父が答えらえた言葉と同じ意味のようです。

イエス様は、ご自分が【神】であることを弟子たちに教えられたのでした。ペトロは、イエス様に「主よ、もしあなたでしたら、わたしに命じて、水の上のあなたのもとにいかせてください」と言います。このことは、教会である【舟】から外に出て宣教するということを表しているのではないでしょうか。もちろん、それにはイエス様という目標を見間違えないようにしなければなりません。イエス様は、ペトロに「来なさい」と言われます。ペトロは、恐る恐る荒れている湖に足を出し歩み始めます。しかし、強い風に気づいて恐れ、沈みかけます。ペトロは、イエス様から目を離したのでしょう、そして、不安になり恐れ、沈みかけます。このことは、私たちの信仰生活にも共通することがあるかもしれません。不安や恐れは、主なる神に対しての信頼ではなく、自分の力に頼り、限界を感じる時に起こってきます。私たちは、ペトロのように「主よ、助けてください」ともう一度イエス様に目を向ける必要があるのではないでしょうか。イエス様は、すぐに手を伸ばして助けてくださいます。

イエス様は、いつくしみの愛を込めて「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。イエス様は、「私はあなたと一緒にいるのですよ、疑う必要はないでしょう。」と言われているのではないでしょうか。イエス様は、まだまだ生まれたばかりで、弱い信仰の【教会】に対して、【信仰】の大切さを伝えようとされたのでしょう。私たちは自分たちの信仰が薄くて弱く、不安に陥ることや逆に自分の力を過信してしまうことが多々あります。弟子たちがイエス様に「まことに、あなたは神の子です」と言ったように、いつもイエス様を見つめて歩むことができたらいいですね。

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