06. 創立者との最後の面会――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち

八年ほど前に設立された聖パウロ修道会のローマ修道院は、アルバの母院よりもずっと小さな建物だったが、それでも五十人以上の若者を収容できるかなり広い建物で、「城外の聖パウロ大聖堂」が、近くの聖ベネディクト修道会の所有地に建っていた。そこは、「サン・パウロのブドウ畑」と昔から呼ばれていた。

このローマ修道院の設立者で、院長でもあったティモテオ・ジャッカルド神父は柔和で謙遜な人柄で、周囲の誰からも好意を寄せられていた。こうした謙虚な人には何一つ断ることができなかった。修道院ではすでに数名の神学生が哲学を学んでいて、ここには大勢の若者が、書籍や紀要、そして幾つかの週刊誌を印刷していた。要するにローマ修道院は順調に滑り出していて、出版の使徒職にとっても、アルベリオーネ神父が心に抱いている他の計画においても、前途有望な未来を約束していたのである。現在ここは、聖パウロ修道会のイタリア管区本部になっている。(*監修者注:その後、管区本部は別の場所に移転している。)

すぐに私たちは、東洋宣教派遣グループのリーダーであるマルチェリーノ神父と面会した。神父は私たちを迎えて言った。「おお、ずいぶんと待っていたよ!さあ、急がなければね。ブリンディジで船に乗り損ねないように。乗り遅れたら、次はいつ出発できるか分からないから」。 私たちは「分かりました。おっしゃるとおりに致します。今日にでも出発できます」と答えた。

ブリンディジへの出発の日、アルバから到着した「神学の先生」と、聖パウロ修道会の最初の支部の会員たちが、私たちの門出を祝ってくれた。数年前から創立者は聖パウロ家族の総会長としてローマに居住していた。彼は、このイタリアの首都ローマで約四十年生活し、ここから次々と重要な指示を与え続けた。そして一九七一年、このローマで「聖なる死」を迎えた。彼のご遺体は、「使徒の女王大聖堂」の地下聖堂で大切に安置されている。

一九三四年十一月九日。イタリアにおける最後のこの日、アジアに向けて出発する私たちは、何とかしてひとめ創立者に会おうと、一日中彼を探し回った。

創立者と二人で、ローマ修道院の中庭を行ったり来たりしながら、個人的に話したあの最後の会話を、私は生涯決して忘れはしないだろう。その会話は静かなものだったが、創立者の慈父的な愛と預言的な示唆にあふれ、優しさと厳しさの中にも、私の霊的、倫理的な善に対する彼の配慮がひしひしと伝わってくる内容であった。もしあの日の創立者との出会いがなかったなら、私は神のみ摂理よりも、自分のポケットに持っていた「小さな宝」の方を信頼して出発していたに違いない。創立者の話はこうであった。

「その後、体の具合はどう? ロレンツォ神父さん」。
「とっても元気です。シニョール・テオロゴ!」。
「ところで、あなたは幾つになりましたか?」。
「満二十八歳です」。
「あなたは喜んで日本に行きますか?」。
「もちろんです!私を選んでくださったことに感謝しています。こんなにも欠点の多い、能力のない私ではありますが……」。
「聖師の恵みは、欠点を認め、自分の無能を認める者の上にあります」。
「はい!」。
「いつ、イタリアに帰れると思いますか?」。
「さあ……」。
「十年くらいで、どうです?」。
「十年でも二十年でも構いません!」。
「神に感謝します。パウロ・マルチェリーノ神父と一緒でもいいですか?」。
「もちろんです。彼は賢明で、何でもできる人です」。
「でも、あなたは彼を助けなければいけません。彼もまだ若いのですから。三十歳を越えているとは思いますが……」。
「三十二歳です、正確には」。
「よろしい! 平和のうちに喜んで行きなさい。使徒の女王と聖パウロが、いつもあなたたちと共におられます」。

ここでアルベリオーネ神父はちょっと間を置いて、そして話を続けた。

「ロレンツォ神父さん、ちょっと聞きなさい。あなたにはアルバでたくさんの友達がいたこと、そしてアルバだけでなく、北イタリア全体にも多くの協力者がいたことを私は知っています。そうですね」。
「はい。(私はちょっと内心を振り返り、そして答えた)。その通りです。彼らは私のこれからの宣教旅行を知って、たいへん寛大に寄付をくださいました」。
「どれくらい、くださったのですか?」。
「品物で寄付してくれ、現金でもくださいました」。
「ああ、そう! パウロ会の協力者たちは皆さん、たいへん寛大ですね」。
「実のところ、三万リラもくださいました。これです、シニョール・テオロゴ!」。
「神に感謝します!さあ、それを私に預けなさい。大きな功徳になります。あなたが必要な時にはお金を送ってあげよう。み摂理はもっとあなたを助ける義務を負うことになります。これによってあなたたち二人はいっそう熱心になり、いっそう務めに献身することになるでしょう。もう一度、神に感謝します!」。

こう言って彼は、私に五百リラだけを残して、あとは全部取り上げてしまった。そして、こう言って話を結んだ。

「その代わり、私はあなたに祝福を与えます。それはお金のように多額ではありませんが、必ず役に立つものです」。

解説? それは読者の皆さんの自由な想像にお任せしよう。あの時代、「三万リラ」という金額がどれほどの価値を持っていたかを、もしあなたが理解できるのならば……。

しかし結果として、私たちは宣教地において、ほとんど奇跡的とも言える神の恵みに助けられたのである。つまるところ、「聖人」とは人間的に見て完全な人であり、その事業を最終的に良い結果へと導く人のことを言うのである。

・ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』2020年

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