ちょっと一休みという種 年間第15主日(マタイ13・1〜23)

「マインドフルネス」という言葉があります。それは、「【今】の自分を感じること」と言ってもいいでしょう。「その時」の感覚を意識し、一つひとつを丁寧に感じていくことです。

きょうのみことばは、『種まきの喩え』の場面です。このマタイ13章は【天の国の秘義】についてイエス様が語られた箇所です。そのことに注意をしながらみことばを読み深めていくと、イエス様からいただく【天の国の秘義】を味わうことができるのではないでしょうか。イエス様は、家から出て、湖のほとりに座っておられました。多分、この湖はガリラヤ湖でしょうし、家はペトロの家だったのでしょうし、時間帯もきっと朝のまだ涼しい時だったのではないでしょうか。もしかしたらイエス様は、おん父への祈りをされていたのかも知れません。そのような時に大勢の群衆がイエス様の周囲に集まって来たのです。聖書の中で【群衆】という時は、不特定多数の人々を意味しているようです。ですから彼らの中には、イエス様に興味や好奇心を持っていた人、揚げ足を取ろうと思っていた人、本当に救いを望んでいた人などがいたことでしょう。

イエス様は、そんな彼らに対して拒もうとも、面倒臭いということもせず愛を持って、彼らが何を求めているのか、彼らに必要なことは何かと対応されます。イエス様は、舟に乗って腰を下ろされて群衆に話し始めます。この「舟」というのは、教会と言ってもいいかも知れませんし、家から出るというのも、宣教に出かけるという意味があるのかも知れません。さらに、「腰を下ろす」というのは、当時のラビが人々に教えを話されるという動作だったのです。群衆は、イエス様がお座りになられるのを見て、自分たちに何かをお話になられることに気がつきます。

イエス様は、「種を蒔く人が出て行った」と話し始められます。この言葉で、イエス様は、「みことばの種」を蒔くために【出て行く】ということを群衆に伝えます。ここで蒔かれた種は、「道端に落ちた種」「土の薄い岩地に落ちた種」「茨の中に落ちた種」「良い土地に落ちた種」と分かれます。日本の農家は、まず土に鍬を入れ耕し、石灰や堆肥などで良い土にします。畝(うね)作りそこに種や苗を一定の間隔を空けて埋めていきます。しかし、当時ユダヤの種蒔は、とりあえず土地に種を蒔いてから土をかぶせてから耕していたようです。そのために蒔かれた種は、いろいろなところに落ちていきます。イエス様は、みことばの種を物惜しみすることなく、ふんだんに蒔かれます。

種を蒔く人が蒔いた【種】は、それぞれの育ち方をします。イエス様が言われるそれぞれの場所は、私たちの【心】または、「私自身」と言ってもいいでしょう。ですから道端に落ちた種は、全く育つことなく鳥の餌となってしまいます。これは、みことばを拒否し受け入れない状態であり、受け入れる余裕すらない状態と言っていいでしょう。しかし、その種でも「鳥」にとっては命へと変わっていきます。

岩地に落ちた種は、一応芽を出しますし、根も生えて来ます。ここに種の生命力を感じます。たとえ土が浅かったとしてもそこで成長するのです。みことばは、たとえ私たちが良い状態ではなくても芽生えようとし、少しでも私たちの心の中で育とうとするのです。しかし、残念なことに私たちがそれに気づき、育てようとしないならせっかくの種も成長することができません。茨の中に落ちた種は、しっかり土もあり芽も根も十分に成長することができます。しかし、私たちの心がみことばの種よりもっと楽しい方に目を向けた状態でしたら、いつの間にか私たちは、残念なことに【みことばの種】のことを忘れてしまいます。

良い土地に落ちた種は、すくすくと成長し、実を結びます。きっと誰でも【良い土地】の状態を望みます。しかし、みことばの種を受け入れる状態とは、本当に苦しい状態、自分だけはなにも出来ない状態、心から救いを待ち望もうとする謙遜な状態ではないでしょうか。そのような状態ですからイエス様のみことばの種に気がつき大事に育てることで多くの実を結ぶことができるのでしょう。

イエス様は、譬え話を「耳がある者は聞きなさい」と締められていますし、弟子たちに「あなた方には天の国の秘義を悟る恵みが与えられているが……」とか、「誰でもみ国の言葉を聞いても悟らなければ……」と言われます。イエス様は、「天の国の秘義は、【悟る】ということが大切です」と言われているのではないでしょうか。それは、心の目で見て、心の耳で聞くという「今の自分の状態に目を向こること」と言ってもいいでしょう。私たちの周りは、時には忙しく、いろいろな情報が氾濫していますし、悲しみや苦しみ、みことば以外の楽しみという何か多くのものに囚われ、ストレスもあります。ですから、「今の私」に目を向けることができにくくなっています。

ときには、ちょっと立ち止まって深呼吸をして、目を私の心に向ける時を持ってみることもいいのかもしれません。私たちは、今の状態に気づき良い土地になるように、イエス様と一緒に耕す(祈る)ことができたらいいですね。

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