01. 未来の宣教師のフラッシュバック――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち

極東に出発する前の十年間について、ごく簡単に触れておきたい。

パウロ・マルチェリーノ神父は一九二四年に副助祭および助祭に叙階されたが、その時にはすでに印刷工場で工場長の全権を与えられていた。この工場では約百種類の月刊教区報、「ヴィータ・パストラーレ」、「出版使徒職の協力者会」をはじめとして、多数の書籍、要理書、福音書、ウーゴ・ミオニの小説などが印刷されていた。マルチェリーノ神父は週刊新聞「イル・ジョルナリーノ」(子ども向けの新聞)の編集長であった。その他にも神学生や高校生志願者のために授業も行い、さらにベルガモ大学で社会学の学位論文の準備、加えて司祭職の準備もしていた。そして一九二五年八月十三日、アルバ教区長のフランチェスコ・レ司教によってマルチェリーノ神父は司祭に叙階された。

私はアルバの修道院に入った一九二四年七月十三日に初めてマルチェリーノ神父を知った。彼は背が低く(彼は生涯、これについて劣等感を持っていた)、顔が大きく、黒い巻き毛の前髪の下には広い額が隠れていた。手足は短かったが、いつも活動的で敏捷であった。彼は活力にあふれた“無限動力”であった。頭脳は明晰で、新しい計画を次々に立案し、それを速やかに実現する意志の人でもあった。夢想家にして生まれつきのリーダーシップを備え、部下を束ねる強さがあるように思われた。「神学の先生(シニョール・テオロゴ)」(アルベリオーネ神父)と完全に同化し、全人的に彼に協力していたという意味においてマルチェリーノ神父は、「理性的にして、盲従でなく責任ある従順」という、第二バチカン公会議の精神を先取りしていたと私は思っている。

性格は快活、ユーモア感覚が豊かで楽天的。強い意志と申し分ない健康とに恵まれていた。その話しぶりと人づきあいの良さは、すでに偉大な理想に献身する寛大な精神を体現していた。彼の欠点が表面に現れるとすれば、それは元気過ぎること、多弁なこと、少し自信過剰な点、そして「ドゥチェッロ(小隊長)」とあだ名されるほどに、「神学の先生(創立者)」をお手本に、徹底的に彼を模倣しようする強く激しい情熱であった。

彼はその優れた知性と物事を統合する力の故に、教授として、また説教者として高く評価されていた。私はマルチェリーノ神父が説教を終えた後で、「神学の先生」が賛嘆の念を込めて「説教(オメリア)とはこうでなければ……」とつぶやくのを聞いたことがある。それほどに彼は、心を込めて説教の準備をしていたのだ。

共同体は月の第一週に、修道会固有の信心業を行っていた。第一月曜日は聖パウロに対する信心の日であった。マルチェリーノ神父は「パウロ」の修道名を持ち(洗礼名はバルトロメオ)、長年聖パウロについて研さんを積んだせいで、深い専門知識を有していた。私たちの会の保護聖人パウロの生涯、その精神、その書き残した数多くの「手紙」について、マルチェリーノ神父は説教してくれた。彼の第一月曜日の説教は、私たち会の全員にとって自らの修道生活を振り返る反省の機会ともなっていた。

彼は「ジョルナリーノ」の編集長として、まさに適任であった。「“小さな者”になることを知る」、すなわち子どもの立場になるということは彼が最も得意とするところであった。彼は、物語風の記事を短時間のうちに一気に書き上げていた。その着想、笑い話、喜劇的で快活な筋立て、そして子どもの心に直接訴える鋭い切り口は、たちまちのうちに週刊新聞「イル・ジョルナリーノ」を成功に導いた。マルチェリーノ神父は当時から──そしてその生涯にわたって──「優れた文筆家」であった。

人間関係の面では明るく活発な性格で、多少強引、そして感情的に激しやすかった。それは彼の持つ人間的な限界であり、そのために批判にさらされることもあった。しかし彼は自分でもそれを知っていて、一生懸命矯正に努めていた。自分が始めた議論が、神経過敏で口論の好きな人たちの反感を招いた場合などは、しばしば自分の押しつけがましさを謝罪し、相手に対して誠実な友情を示していた。彼は最初、自分の欠点に深く悩んだが、やがてはこの「十字架」を甘受した。

マルチェリーノ神父は、いつも寛大な利他主義者であり、性格としては好戦的で自由奔放な人であった。人間的に見て克服し難いと思われるような困難や謀略的な罠、邪悪な時代の波に対しては、ひるむことなく果敢に闘い続けた。彼は六十歳の時、再び極東の地へ出発する。私はマルチェリーノ神父が韓国に赴く直前の一九六一年、東京行きの飛行機に乗る前に、彼の健康診断に立ち会ったことがある。その時のマルチェリーノ神父は、かなり危険で複雑な手術を終えたばかりだったが、人間的な温かさを周囲に漂わせ、とても楽しそうだった。

彼はミラノ修道院にいる時に発病していたので、そこの修道院の若い院長を伴って医師の元を検査に訪れた。医師は私たち二人の顔を見て尋ねた、「それで……、お二人のうちどちらが病人なのですか?」。マルチェリーノ神父は喜々として心電図の検査を受け、韓国でのこれからの自らの使命について熱心に語り続け、医師を驚かせた。

パウロ・マルチェリーノ神父をひと言で言い表すなら、次のようになるだろう。すなわち、「思索の人」、「行動の人」、「いのちを慈しむ人」、そして「使命遂行のために熱心な準備を怠らない人」。

・ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』2020年

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