主を信じ抜くという種 三位一体の主日(ヨハネ3・16〜18)

私たちは、好きな人を愛するというのは、比較的容易(たやす)いし、「好き」から「愛」に変わって行くと言っても過言ではありません。しかし、嫌いな人、肌が合わない人を「愛する」というのは、大変困難ことですし、エネルギーがいることです。時には、「この人を愛するなんて無理」と言って諦めてしまうこともあるかもしれません。

きょうのみことばは、ファリサイ派の議員でニコデという人がイエス様の所に訪ねて来て「……あなたが行っておられる徴は、神がともにおられるのでなければ、誰にもできないからです。」(ヨハネ3・2)と質問を始めた会話の最後方の場面です。

きょうのみことばの1節前にイエス様は「……それは、信じる者がみな、人の子によって永遠の命を得るためである。」と言われています。このイエス様の言葉は、「イエス様を信じる者」=「永遠の命を得る」ということを意味していると言ってもいいのではないでしょうか。イエス様は、この言葉の後に、「実に、神は独り子をお与えになるほど、この世を愛された。」と言われます。ヨハネ福音書の1章に「……この世はみ言葉を認めなかった。み言葉は自分の民の所に来たが、民は受け入れなかった。」(1・10〜11)とあります。おん父は、この世がご自分の独り子を認めず、受け入れることができないとご存知であったにもかかわらず、愛する独り子をこの世に送られるほど、深くて、大きないつくしみの愛をお持ちの方なのです。

私たちは、本当に弱く、罪に陥りやすい者です。何度もおん父を悲しませています。また、私自身を見つめるだけでなく、世界の歴史をみてもわかりますが、戦争を起こし、暴力があり、弱い人を虐げ、差別するなど本当に【エゴ】で充満しています。旧約聖書の中にも、戦争が出てきたり、おん父に背いて偶像礼拝をしたり、自分たちの富ばかりを追っている場面が出てきます。それでもおん父は、「この世」を愛してくださるのです。おん父は、ご自分の「息」で造られた私たちを、たとえどんなに罪を犯そうとも愛し続けられるのです。

続いてイエス様は、「独り子を信じる者が1人も滅びることなく、永遠の命を得るためである。」と言われます。エゼキエル書に「悪人が犯した一切の罪から立ち返り、わたしの掟をことごとく守り、定めと技を行うなら、命を得る。」(エゼキエル18・21)とあります。私たちは、自分に対して裏切り、傷つけた人を赦し、愛することがどんなに困難かを知っています。しかし、おん父は、私たちがご自分に酷い罪を犯したとしても、私たちを救われ、永遠の命を得るようにしてくださるのです。

イエス様は、ここでもしっかりと「ご自分を信じる人は永遠の命を得る」とお約束されています。前に見たヨハネ福音書の1章の次の節には、「しかし、み言葉を受け入れた者、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1・12)とあります。ヨハネ福音書の中には、同じような言葉を繰り返しながら私たちにおん父の愛を伝え、私たちが【永遠の命を得る】ためにはどのようにすればいいのかということを伝えています。

イエス様は、前の節をもっと深く掘り下げるように「神が御子をこの世にお遣わしになったのは、この世を裁くためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」と言われます。ここでも【この世】が救われると言われます。私たちの社会は、罪を犯した人を裁き、何らかの方法で更生させ、自分が犯した罪の償いをさせます。また、時には、自分の考えと違った人、周りの風習や習慣から離れた人を嫌い、裁いてしまう傾きを持っています。さらには、人だけでなく自分が犯した間違いに対して「自分はどうしようもない人だ、何をやっても失敗してしまう」と思って自分自身を裁いてしまうこともあります。しかし、イエス様の愛、おん父の愛は、そうではなかったのです。

最後にイエス様は、「御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じなかったからである。」と言われます。聖書の中で【名】は、私たちが言う「誰、誰さん」という【名】ではなく、その人の人格の全てを表します。イエス様が言われる「独り子の【名】を信じなかった」というのは、イエス様の全てを否定し、拒み、信じなかった人、「光よりも闇の方を愛した人」(ヨハネ3・19)のことを言われているようです。

私たちは、おん父の愛に導かれ、イエス様の愛に満たされ洗礼の恵みをいただきました。しかし、洗礼を受けたからと言って安心するのではなく、たとえどんなに困難な状況であっても、イエス様の愛を信じ続けることが大切なのではないでしょうか。聖霊は、私たちがイエス様の【名】を信じ抜くことを助けてくださるお方と言ってもいいでしょう。聖霊は、私たちの弱さを強めてくださいます。きょうのみことばは、三位一体の【愛】が凝縮され、充満されているのではないでしょうか。私たちは心から聖霊さんに「私たちがイエス様を信じ抜くことができますように恵みを与えてください」と祈ることができたらいいですね。

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